「インターネット」と演劇のこと


中学生の時に触れていた私にとっての「インターネット」の世界と、いま関わっている「演劇をつくる」コミュニティはなんだか似ているような気がする、というツイートをこの間した。

インターネットが大好きな子供だった。自分でホームページを作って、絵や文章を載せたりして、来てくれた人と交流したり、リンクを貼ってみたり、掲示板に書き込んだりして、2000年代に私が触れていたインターネットには幸せな世界が広がっていたと思う。自分をごまかしたり嘘をついたりする意味もあまりなかったし(きっともちろんいわゆる「ネカマ」さんなどいたのだろうが)そういった嘘やタテマエがどうでも良かった。

そして、そこに集っている人たちは、楽しんでいながらもとても真剣に活動に取り組んでいた。実際に会ったことがない相手が多いからこそ、自分を伝えるためにいろんなやりかたでコミュニケーションをとっていた気がする。

演劇もそうだなって思っている。やりたいことを叶えるために、緩やかなコミュニティから始まったものが、どんどん真剣になっていって、嘘とかついている意味がない状態になり、楽しく一つのものをつくっていこうという感じ。もちろん肉体はそこにあるし、みんなでつくる、というやり方は違うけれど、心の持ちようというのかな、そしてコミュニケーションの仕方も、似ている気がする。あのころの「インターネット」は今存在しないけど、その代わりになるものを自分は手に入れていたんだなあと思うと少し嬉しい気持ちになる。

高校生から大学生のはじめまで小説を書いていて、分厚い文庫3冊分くらいの量のお話をつくって、完結させたことがある。一話ずつ、書いたらタイトルをつけて、読みやすくレイアウトしてホームページに掲載していた。多分いま読んだら本当に死にたくなるレベルのひどさだと思うが、それでもその時の作りたい欲求だったり、それほど長い物語をとにかく終わらせることができた、という実感が今でも確かに残っている。かつて居場所を与えてくれたインターネットには本当に感謝しかない。


脱稿とモーターサイクル願望


あたらしい山羊王子の台本(おそらく最終稿)をみなさんにお渡ししての稽古。最近は毎回見学者がいるので、いろんな方に稽古場の空気を見てもらえて、とてもありがたいと思う。通して読み、きになったところを共有していく。前日の夜までさわっていて、他の仕事もしながら印刷して持っていったので、ヘトヘト&ドキドキで変な日本語ばかりしゃべってしまう日だった。すみません。たとえ話で、ふるいインターネットの話とか急にしてしまい、でも若い方には伝わらず、正しく歳をとっているなと実感する。

大橋の稽古場までは交通費がけっこうするので、じわっと途中まで自転車で行ったりして浮かせている。原付かバイクがあれば……10月に中型免許をとるぞ、なんて調子良いことを言っていたのだが、かなわぬ夢で終わりそう。原付だけでも買うかなあ。だれかくれないかなモーターサイクル。

昨日までの仕事をむりやり片付けたせいで、体がとてもバキバキだ。でも明日も打ち合わせがあったりして、できればそこで持って行きたいデザインもあるので、やって寝るしかないな。今夜は韃靼そば茶なんて飲んだりする。


レンジ調理に甘える秋


最近は食欲が復活してきたので、電子レンジをつかったレシピをいろいろと検索して、できるだけ火が通ったものを食べるようにしている。キャベツなどを蒸して、ポン酢と黒胡椒をかけたりすればとてもしっかり食べられるし、調子もいいような気がする。

レトルトの麻婆豆腐もレンジ調理ができることを知った。ときどきとっても食べたくなるけど、クックドゥや丸美屋でさえ、元気がないときは億劫になってしまう自分にはうれしい発見だった。フライパンを使わなくていいし、時間もかからないので、これこそライフハックだとおもう(ハックするほど複雑なライフでもないが)。ふくちゃんに、そうやって麻婆豆腐を食べたと言ったら「料理名のあるものを食べている!」と言われる。ひどいときは素材そのままだったり、さけるチーズとトマトジュースばかりだったもんね…。

寒くなってきたので、あったかいお豆腐がおいしい。お味噌汁もときどきつくる。冬に向けて、ただしく支度しているかんじがする。いろいろ落ち着いたら、おいしい水炊きがたべたいな。

カレンダーも変えてなかったり、停滞している部分はそのまま放置だったものを、稽古に行く前にちょっとずつ手を入れる。とめてしまっている仕事もあるのではやくかたづけねば。


山羊稽古4日目、焦り禁物


稽古がつづいている。今日は日中ぐったりしていたが、夕方には回復して無事に向かうことができた。はやくシーンを追加した新しい脚本をお渡ししたいと思っているが、今ブログをかけているので、明日には、できるだろう、きっと。

演技についての提案をしてくれたり、疑問を抱いたらどうなのか、変えた方がいいのか、と相談してくださる俳優さんばかりで、とてもありがたい。うまれた疑問に対して、共有すべきものが生まれて、理解が進む。今日は俳優さんが全員揃って、いろいろ試すことができたのでよかった。

台本もそうなのだけど、演出の方法というのが、なんどもやっているはずなのだが、本当に答えがないなと思う。答えがないから自分の描きたいシーンの目的を提示するしかない。ただ、心なんてあやつれないものを描くわけだから、役としてそれぞれの俳優さんがどうしたいか、どう動きたいか引き出したり、内側にあるものに触れられたらいいな、とは思っている。今回はより稽古日数が限られている、からこそ、大事な部分だけは焦らないようにしたい。

「エモい」という言葉を最近覚えたので、そう、エモさを見つけて形にしたいんだろうな。「切実さ」とも言える。でも切実、は自分本位なので、あるひとの切実、を見た別の誰かの心を揺がせるほどのもの、となると、やはりエモいという言葉は便利だ。


贈りものとプロジェクター復活


色々なところへチラシを置いてもらいに出かけて、某所へご挨拶に行ったら、職員さんから呼び止められた。渡すものがあるから、と言われ、なんだろうとドキドキしたが、お世話になって遠くへ行かれた方が「好きと言っていたから」と、その方に預けていたらしい、ある作家さんのポストカードを手渡された。原画を買ってしまうほど好きな作家さんで、いつかそんな話をしたのかな、それを覚えていただいていたようで、ときを超えて素敵なプレゼントをもらってしまった。とてもとってもうれしく、かつ混乱してしまい、えっ、えっ、ほんとに、と聞き直してしまった。はずかしい。でも、続けていけるぞ、がんばろう、と思った。

また深夜の作業が増えている。身体を思うようにコントロールできないので、くたばってしまう前にやらなきゃ、という感じでそういったサイクルに陥っている。

やる気を出すツールとしてしまっていたプロジェクターをふっかつさせて、何度も観ているすきなDVDを壁いっぱいに映しながらやっていて、これはなかなかいい方法みたいだ。内容は知っているので頑張って見る必要はないけど居心地がいい感じ。お酒を飲んでいたらちょっとむずかしい日が続いているので、いろいろな紅茶を日替わりで飲んでいる。寒くなってきたんだな。


書くことと訊くことと


今日は実家でこもって作業をした。さいきん脚本を書く、ということで頼まれることが増えており、とっても嬉しい反面、これまでの作り方ではまわらなくなるのではという不安が少しある。もうつぎの作品で何をやりたいかくらいの材料集めもしておく必要があるし、反射神経というのか、筋肉というのか、もっともっと鍛えなければならないなと自覚する2018年秋。

5月あたりからとくに自分の声をきく、というのか、何が喜びで、どういう欲があって、どうなりたいんだろうかということをさがしてきたような気がしていて、色々変えたこともある。8月からブログを書き出したのも、発信したいという欲求よりは、こうやって打ち込んでいくことで何を考えているのか自分が知るために、内側をみるための役割も果たしている。自分の深いところに触れなおし、素直に欲を欲と認める作業をしたおかげで、今は割と色々なことに迷いが減っていると思う。

変化していく必要はあるので、自分の内側に耳をすますような作業は時々とても大切だなと思う。それが自分の力だけでは不可能なところは、外にヒアリングを求めたり(占いに行ったみたいに)誰かにカウンセリングしてもらうのもありだなとわかったのは、ひとつ生きやすくなる方法を手に入れたな〜。また、ここ数ヶ月で、転職や資格取得などについて数名の友人から相談をされていて(働かないとほぼ無職の私に聞くべきでもないとも思うけど)これもあるいみで、自分の声をきくための大事な時間だった。相談に乗る形でいつのまにかこっちがどう感じているか気づく。

転職とか恋愛とか、とっても高度で大変な悩みだ。だって人間も根本は食欲とか睡眠欲とか性欲とか、そういうレベルで生きているわけだから。そうだったわれわれは動物なのだった。でも、逆をいえば根本はそこなので、フレンズたちにはどうかできるだけそういったところが満たされた状態で、不安はすくなめに、おだやかに生きていてほしいなんて勝手に思う。こんなことを書いている夜、お腹がすいてきちゃったな……。


山羊稽古2日目、チラシ届くの巻


「幸福な山羊王子とおひめさまのはなし」二度目の稽古。初めはあぴさん(亀岡さん)、しーさん(柳田)、ふくちゃん(福田さん)の三名。読みから始まり、本を持ってなんとなく動きながらやってもらい、それに対してイメージを共有していく。狙いを伝えたり、別のやり方をたずねてみたり。途中からりんごせんぱい(成清さん)が合流。ざっくりと今ある台本を通してみた。

コンパクトではあるが、何をやりたいのかがすでに渡した本で共有されているので、俳優さんの理解が早い。まだ2回目なのに、もうこんなことを話している…!と、びっくりする。去年は揃うだけでも精一杯、という感じだったので、ありがたい。まだまだこれからできることがあるという喜びと、こっちが追いつけなくなったらどうしようという不安と。探していた音を当てたりしながら、3時間半、楽しく嬉しいじかんでした。本当に、いろいろ、これからだな。

ちょうどよくチラシも届いたので、ひとまず配る。上質紙90kg、WEBで公開している画像よりもシックな感じになっていていい感じ。会場的に呼べる人数にかなり限りがあるため、チラシも今回は少ない部数しか刷っていない。2月verと変わるのか、デザインこのままで内容が変わるだけなのか、まだちょっとわかりませんが、ぜひ手に取って欲しいです。自画自賛ですがなかなかすてきだと思います。


死なないために服を買う


基本とくに物欲もなく、ときどきおいしいものが食べられたらいいなぐらいに思って生きているのだが、今年の春に買っていて秋に届いた服がとても気に入って、その追加販売(しかも春にはなかったとても綺麗な青)があることを知り、ぐぬぬ全然安くないがどうするか…と考えていた。でもそういうときいつも心の中にいる太宰治が「来年も死なないために買っていいよ」とささやく。

『葉』のわりと冒頭部分だ。

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

最終的にこの人は(この人っていうな)愛人と一緒に川に飛び込んで死んじゃうわけだが、私はそういうわけにはいかないし愛人どころかひとりぼっちを極めている最中なので、ありがたくこの一文だけを使わせていただく。ありがとうございます、先生。

それで、結局注文してしまったので、とてもドキドキしつつ、たのしみっでっす。物持ちだけは異常によく、夏までどころかたぶん10年以上着るはずなので、いいことにします。

お金を遣いすぎているな、まずいな、とたびたび思うのだけど、自分の経済感覚は普段使わずにときどきドカンっていうタイプなので、実際そうでもなかったりする……なんていうのは言い訳だ。ただ、単純に毎月の収入に差があるため自然と消費欲求が抑えられていて、かつ入稿代行で印刷屋さんに発注したりすると普通に一旦10万円程度はふっとんだりするので、ドキドキしてしまうのは仕方ないところでもある。じっさいカード明細をみると食費とコーヒー代ばかりで、年単位で見ると回っているので、まあよいことにして生きている。いつまでフリーでいられるかはわからないが、今の所スリルある人生、ばんざい!ということで…。

身長や童顔のせいで見た目があまりにも年相応に見えないので、ちょっと「ここはがんばらないと」という時やそういう人に会いに行くときなどは、すこしばかり質がいいものを持っておくことで武装する必要性は感じています。コミュニケーションさえとれれば、すぐに解除してしまうレベルのものだけど。

こういう、大したこともない日々をだらだらと書くことが許されるブログは自由でいいな。一言で言うと「ちょい高い服を買った」で済むもん。


洗濯とラメラメと獣ゆく細道


今日は一日じゅう雨が降っていたが、洗濯機を3回まわして(色落ち対策)、掃除をしたり、荒れていた生活周りをすこし改善した日だった。太陽が出ているよりも風がある方が洗濯物は安全に乾くということを知ったので、最近はあまり気にせずお洗濯できるようになった。お昼にはふくちゃんからお土産でいただいたポン酢を、茹でたオクラにかけて食べることができたのでよかった。とてもおいしかったよ、ありがとう。

夜はまた打ち合わせ。家の近くにしてもらえて、とても助かった。スタバでラメラメの入ったハロウィン限定でキャップがカボチャになっているボトルが売ってあり、「自分が小学生だったら絶対に欲しがっただろう」という話をした。ラメラメ、キラキラがうれしかった時代が私にもあるよ。

先日新曲で出たばかりの、エレファントカシマシ宮本浩次と椎名林檎のコラボ「獣ゆく細道」がとても好きで、なんども聴いてしまう。これが流れたこの時代に生きていてよかった!というレベルでのよろこびで、聴くたびに勇気凛々となる。トータス松本との「目抜き通り」とは完全に別の道を行っていて、その時一緒につくる相手でどちらも行き来できる林檎さんの変幻自在さが最高だとも思う。

新しめの音楽では米津玄師を(とくにLemonのアルバム)聴いていたけど、今年は好きな曲がどんどん出てきてびっくりするなあ。


ときめきアウトリーチ


朝7時から打ち合わせをし、お客さんのところへ訪問したあとで、小学校のアウトリーチを見学させていただいたり(シンプルで無理がなく、しかしとても考えられて用意された時間で、ときめきがとまらなかった)、養成講座に参加したりと、演劇ざんまいな一日だった。有門さんのアウトリーチ講座はとても腑に落ち、不安がほぐされるような言葉をいただいて、これから、があるのかはまだわからないけれど、関わりたいと思えるアーティストになれるように、色々考えて、作りつづけていこうと思った。

「私ががんばる」ではないことも、今年の夏のWSで感じていたことだったので、言語化されてとてもありがたく、自分の感覚にフィットしているなと思った。もちろんひっぱらないといけないシーンもあるし、どうしても緊張はしてしまうんだけど、できるだけ肩の力を抜いて、目の前にいるひとの声にみみをすまし、その場限りの状況にこたえるような、いい時間やいい関係性をつくることができたらいいなと想像する。セットリストはあるけれど、その通りにいかない可能性もあるライブなんだなと。つまりそれこそが演劇なんだった、と。まだまだな部分も多いけれど、子どもたちと一緒の時間を過ごすことで、私はとても創作への刺激や、気づきがおおいので、できればこれからもまなび続けられたらいいなと思う。

そのあとマヌコーヒーでおがもとお茶をして、これまでの総まとめのようなふりかえりを行なった。トリプルアクセルラテというクリームがたっぷり入ったコーヒーを飲んだ(いつかウインナーコーヒーが大好きだという記事をここで書いた記憶がある)。なんというか、なんでも、かんたんに見抜かれてしまうから、いろんなことをごまかさずに、しょうじきに生きていくしかないなと思った。


いろいろな嗜好品と広告の話


ここ2日ほど、急に寒くなってしまい、うまく身体がついていかない。9月はあっという間に終わってしまったし、「山羊王子」も情報公開してしまったので、本当にエンジンを全開でやらなければならない。がんばります。

寒いのがとても苦手なくせに、そんな夜でもウイスキーをロックで飲んでしまう。最近あらたに飲んだのはラム(ウイスキーじゃないけど)のキャプテン・モルガンと、バーテンさんにおすすめされたスコッチのグレンモーレンジ(だったと思う)。ラムはどうしてもラムレーズンのイメージが強く、スイーツだなあと思った。さとうきびが原料だなんて知らなかった。スコッチは飲みなれたらもっと面白いんだろうな。メーカーズマークの味になれているから、なるほどそっちか〜という感じ。外で飲むと新たに知ることが多くて面白い。とはいえ弱いのは事実なので、家で飲む時は一杯しか飲まないよ。

ウイスキーと紅茶はマリファナ(語弊がある)的扱いで、コーヒーとはまたちょっと違う位置付けになってきている。もちろんコーヒーもすきだけど、どちらかというと思考を仕事に向かわせるため、マリファナではない(語弊があるってば)。

先日はじめてタバコを吸った。あんまりよく覚えていないが、火をつける・息を吸うことをこんなに意識する儀式もない気がする。なにか救いがあるのならいいかもと思ってやってみたのだけど、一本で2回ほどむせました。

そういえば「タバコは女性の自立の象徴」というアメリカの広告が「直接的なメリットを伝えず、かけはなれたイメージを関連づけるもの」として広告史ではじめて扱われたっていう話をしてくれたのは誰だったかしら。それでタバコがアメリカの女性に普及したっていう話。

なんていうか、もし自分が大きな広告会社の人間だったら、少なからず全能感を持ってしまうんだろうな、と思う。イメージづけによって人の考えを操る神になってしまう人間もいる。それは、「世界を変える」っていうかっこいい言葉にすりかえることもできるんだけど、良し悪しだなあ。しかし「イメージづけ」をするのは広告に限ったことじゃない。演劇だって、デザインだってそうだったと気づく。まあ、まったくスケールのちがうお話ですが。酔っているので今日はここまで。


悲しみはいつ消えるか


昨夜はすきなひとたちとお肉を焼いてお酒を飲んだ。甘えているなあと思うけど、夜中までいろいろ話ができてとてもいい夜だった。ひとりでいるよりも食欲がちゃんと機能するのでとてもいい。ケニーさんとmy favorite thingsを歌うほどには酔っていた。

街で見かけた、何かの宗教を布教しているひとたちが傍に置いていた立て看板に「悲しみはいつ消えるか」と書いてあった。そこに立っていたお姉さんはとてもきれいなひとだったけど、このひとは自分が感じた悲しみや寂しさや怒りが消えてしまってもいいと思っているのだろうかと思った。わたしはやだな。

血中のアルコール濃度がよくなかったのか、寝ていながら身体中がジョワーっとなってすぐに目覚めてしまった。目覚めたら、今日はもう土曜日なのか、一週間があっという間にすぎている。

今週は、はじめての人と話したり、再会したりして、たくさんのひとと喋った。いつのまにかしごとのはなしが急にポンポンはじまったりして、とても不思議だ。人と話すことによって自分の立ち位置がわかるというか、なにを求めているのかがクリアになるような気がする。ただ、思考を飛ばしすぎてしまった感じもするので、またゆったりインプットする時間をつくりたい。宿題もたまっているし……。


フリーランス5年生の抱負など


昨日フリーランス5年生に突入していたことを知ったので、この一年のおしごとまわりの近況を書く。

もっとも大きな収入源になっているデザイン関連のことから。一昨年から緩やかに演劇関係のデザインを依頼されることが増え、この一年は毎月何かしら演劇のチラシに関わっている状態がつづいている。これは完全に想定外のできごとで、かつとてもうれしいことだった。演劇をしている人との打ち合わせはとてもうれしい。チラシだけでなく、チケット、ポスターも増えた。そのほかにも、ロゴマーク、さまざまなグッズ、個人の名刺の依頼や、Illustratorの使い方〜チラシ入稿までのレッスンなど、できることをなんでも答えていたら、いろいろ任せてもらえるようになって、こんなよろこびはない。ぜひ何かあれば声をかけてください。

それから、まつきさんというお仕事パートナーに恵まれて約2年、WEB周りのおしごとだったり、さまざまな企業さんとのしごともいただいている。ボリュームのある会社案内&製品パンフレットを作ったり、ホームページや名刺などのデザイン関係が多いが、WEBのディレクションやコンサルなどもしていたりする。出版関係も。

演劇周りのお仕事も。脚本を書いたり、取材に行ってライティングをしたり、WSのことを考えたり。(あまりここで書けないことも多いが、)灯台とスプーンの活動を中心に、うれしい方向に派生していると思う。演劇をするためにフリーランスになって、試行錯誤するうちに、じぶんで仕事をつくることができることが何よりうれしい。

収入を得られることだけが仕事ではない、ということも、最近とても実感している。

たとえば、演劇を作ることを「好きでやっていること」と思われることはよくあって、でも私にとってはこの創作がなければ、そのほかの仕事すべてが成り立たなくなってしまう。あんまりわかってもらえないことも多いし、先月はデザインに関して悩んでいるようなことも書いたが、最近はその確かさに気づいてきた。趣味=演劇、仕事=デザインではなくて、どちらも自分を生かすための大切な生業なのだと。気づけて本当によかったと思う。単純に調子が悪かったこともあるが、その気づきのおかげで、デザイン周りに対する悩みも少し減った。

フリーランス5年生、デザイン関係は軌道に乗ってきた。とはいえ、脚本を書いたり演出したり、ライフワークとして演劇に関わるボリュームをもっと増やしていきたいと思います。がんばります。


うれしい打ち合わせの日


今日はとてもすてきな経営者とお話する機会があった。話をしていて、その方も私の周りにいる、事業を回せている経営者と同じで、「それ、やってみようか」というフットワークの軽さがひとを軌道にのせるなと実感した。行動の結果失敗したらそれを検証してもう一度やる、つまりこれが学生の時に習う「ぴーでーしーえー」なのだけど、そんな言葉でわざわざ表現するのが陳腐に見えるほど、やっているひとは素早い。しかし、会って話をするだけで、未来のことを考えてウキウキしたりドキドキしたりできる人っているもんだなあ。

カウンセリングスキルを問われるしごとを、知らないうちにしていることが多くて、社会人になってまだそれほど長いわけでもないけれど、そういうことをやってきていたんだなと実感した日でもあった。訊く、ということがひとつ、大きくあるテーマなんだろうなと思う。

そして単純に、「これをやったら喜んでくれる人がいる」というしごとができたらいいなとあらためて強く思った。レギュレーションの共有もされていないのにケチをつけられるような、つまらない修正がきていやいや返すような仕事はできるだけしたくない。(おっと愚痴をこぼしてしまった)ルール、規定、そういうものではなく、目の前の人が喜んでくれることをしたいんだと思う。演劇でも、そのほかの仕事でも。

それから(前にも書いたかもしれないけど、何度でも忘れないために書く)今年はリスクをいかにとれるか、ということを非常によく考えている。フリーランスになった当初は「若気の至り」も十分にあったのだが、5年目にもなるといろいろなことが定着しがちで、あたらしいことへ挑戦したり、投資をしたりお金を使うことが怖くて、気を抜くと安い中古マンションのチラシを見てしまったりする。でも、それじゃ新しいことはできないし、作品にも出てしまうんだと気づいてから、できるだけぶっ飛ばすようにしている。勇気をもって、リスクをとって生きていきたい。


どっちもどっちの違和感


ニュースで、十代の女性に二十歳の公務員がわいせつな行為をしたという報道があって、それを一緒に見ていた人が「この人(わいせつ行為をした方の人)は大丈夫だろうか、将来これから」と言っていて、確かな違和感を感じ、「なぜそっちを心配するの」とつい聞いてしまった。報道があるほどのトラブルだったはずなのに、十代の女性よりもわざわざわいせつ行為をしてしまった男性の将来を心配してしまうのは、一体どうしてなのだろう。女性側の精神的負担は想像しにくいのかなと。

「こういうときって、どっちもどっちのことが多いからさ、案外女性の方がしかけてたりして」という返事で終わった。確かにそういうことも、あるかもしれない。ただ、限られた情報しか知らない上で「どっちもどっち」ならば、どっちもどっちなりに「この二人は」とでもなんとでも言えるはずだ。女性だけどうして置き去りになるのか?まだ十代なのに。でも確かに、むかし自分もそういう感覚になっていたころがあったから、一層違和感が強く残った。これってどういうことなんだろう。

本当のことなんて誰もわかりっこないのに、「本質を見る」なんて言いながら自分の頭にあることだけで真実を「捏造」しているんじゃないのか。

 

便利な言葉で状況を定着させることによって思考を停止してしまうことがあるよな、ということも、最近少し考えている。たとえばだけど、メンヘラ、こじらせ、あたりのこと。こじらせている、なんていうのはすごく便利だなと思っていて、それゆえにどういう状態なのかがわからなくなる。過去をふりかえれば、「こじらせ」てたし「メンヘラ」だったなと思うのだけど、過去は過去でせいいっぱいやっていたつもりでもあるので、バカにしてしまうのもよくないなと最近になって思い始めた。

 

新潮45の報道を聞いて、編集者は違えど「考える人」の大ファンなので同じ会社で起こってしまったことに心底がっかりした。だからこそ感覚が敏感になっているのかもしれないな。いやだなあ。

そういう違和感と向き合えば、演劇のひとつにもなろうな。ただし中途半端だと自分が苦しくなってしまうので、やるなら本当に、ちゃんとやらなきゃいけないって思う。


Neon Sign/メトロノーム


最近抱いた感情について書く。ふわっとしたことしか書けないから意味がわからないとおもうけど、自分の整理のためのアウトプットです。ごめんなさい。タイトルは米津玄師のBremenを聴きながら書いてたからってだけ。

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飛び込みで髪を切った話


精神の調子があんまりよくないなと思い、近所に髪を切りに行った。ふざけた気持ちでついでにパーマもかけてもらい、くるくるのショートカットになった。飛び込みでいったくせに、楽しんでやってくれてよかった。またいける美容室をやっとみつけたような気がする。(パーマを待つ間、アルコールを頼めたのも最高だった。あんまりないよねそんな店)

髪を切ってから何人かと打ち合わせなどで会ったが、全員から絶対にそっちがいい、性格にしっくりくると言われた。今まで伸ばしてきた理由はとくになくて、本当にただ切りに行くのが面倒なだけだったのだが、切らなきゃと思ったのは、好きな服を着ていた時に「某アイドルにいそうだね」と言われたのがきっかけだった。アイドルたちはなにも悪くない、でもそう言われたのはなんというか、大変個人的に「あ、無理」だと思った。この気持ちはおわかりいただけなくてもよい。

小松未歩も「前髪を切っただけで生まれ変われちゃうそんな考え方が好きよ」と言っていたし、髪は大事なんだな。近所にいいところを見つけられたので、これで安心して切りに行ける(レモン酎ハイも飲めるし)。


新規団員募集しています


灯台とスプーンのお知らせを、昨日発表して、さっそく連絡があったり、動いているなと思う。本当にありがとうございます。

せっかくだし、自分の頭の整理のために、灯台とスプーンのあれこれを個人的な記録として書いておこうかなと思います。

灯台とスプーンは、私が仕事を辞めてフリーランスになり、新しい脚本をなんとなく考えていたところに、安藤美由紀から声をかけてもらってできた団体です。学生の時に作った「水辺のアンシー」という作品に参加していた柳田詩織と三人で、2015年にもういちど演劇を、という初心にかえる気持ちで始めました。

それから、いろんな人の力を借りて、「狐/真夜中の共謀」、「まがいものの乙女たち」、「海をわたる獏」、「藪に坐る人」の大きく4つの作品を作って来ました。どの作品も、並んでいてとてもいいタイトルだなと自分で思う。そして次の「幸福な山羊王子とおひめさまのはなし(仮)」急に長くなったけど、これもなかなかいいタイトルだと思う。

自分にとって作品のタイトルは、好きな本の背表紙を集めている感じがしていて、それだけで作品の空気を思い出せるようにしたいと思ってる。お話なんてすでに世界中に溢れているけど、まだまだいろんなタイトルを集めたいし、いろんな場所で上演がしたい。

灯台とスプーンの「演劇」らしからぬ部分も含めてたくさんの人に知ってもらいたいし、少しでも「灯台とスプーン」というものが渡ったらいいなと思っています。とくに、2016年に上演した「海をわたる獏」は、自分がどんなことを演劇で表現したいのか、どんな心を乗せるべきか知ることができた作品で、灯台とスプーン、としての存在意義をやっと少し感じられた気もしていて。

そんな中で、三人だけでは正直エンジンが少ないな、と思いながらこの二年程を過ごしていて、そこへ安藤のお休みが決まり、これはちょっと足りなくなるかもしれないと考え、新しく団員を募集するに至りました。むしろ、これまで三人でよくやっていたなとも思いつつ……。

私も団体所属というものをしたことがこれで初めてで、大学時代もホールが使えたから個人でいろいろ企画をして、岩井先生に無理を言ってさせてもらっていただけなので、「劇団運営」というものを知らない。(演劇部ですらなかった!)でも、やりたい気持ちだけでここまでやって来て、応援してくれる人も増えて、勘違いさせてくれて、上を目指したい気持ちがでてきてしまった。

だから、正直な気持ちで、一緒にこれから強くなっていけるひと(うーん、ちょっと言い方が雑?)、いい作品を作っていけるひとと進みたいなと思っています。だから正直、役者さんじゃなくてもいい。灯台とスプーンの、と一緒に名乗ってくれて、面倒な運命に巻き込まれてくれる方がいてくれたら、まずはうれしいなと。

演劇なんてこの世の中でもっとも非効率なものかもしれない。でも効率的という言葉が賢くて好きだった10歳の私が20歳でひっくりかえって、乗り換えた。この非効率は人間を救うかもしれない、と思ったのです。

その船に一緒に乗ってはくれませんか。

 


氷の上に立つように


小松未歩の「氷の上に立つように」という歌が小学生の時かなり好きだった記憶を、最近行ったカラオケで思い出した。もし宇宙船が来たら友達だって残して地球を飛びたってしまうだろうって、こんなに魅惑的な歌詞はないと小学生なりに思っていた。私も宇宙船に乗りたい、今でも。しかしこの曲を使って、運動会でポンポンを振らされていた理由はよくわからなかった。かなり、集団行動に似合わない歌なのにね…。

ともかく、こうも歌詞に惹きつけられる歌はあまりないので歌詞を読み返していたら「望み続けた場所で生きているんだから」という言葉があったりして、もしかすると当時の小松未歩自身の冒険や生きざまの歌なのかもなあ、なんて妄想する。音のキャッチーさによって気づかなかった。そのあとに「内緒よ恋をしたって」という言葉があって、むしろその恋が大事だからこそ薄めている、感じもして良い。内緒だしね。

いてもたってもいられず、コナンの初期のオープニング集のCDを借りてきた。小松未歩の音楽のマイナー感というのか、音楽のことは詳しくないからなんとも言えないのだけど、あの感じがとても心地よくて、かつキャッチーで、椎名林檎の音とはまた違ったいい上がり方の癖があるなと思う。そして完全に主観だけど、90年代の音楽はとても豊かだなあと。あの頃に子どもをやっていてよかったなと思う。

「氷の上に立つ」っていうのは、スケートリンクとか綺麗にされた氷上ではなくて、きっと凍った湖面とか、海とか、そういうところなんだろうなと想像する。わりと、あぶなげなことをしてきたけど、これからもあぶなげでありたい。さいあく、落ちちゃってもいいし、地球に帰れなくてもいいや。


だめだめ。


ボトルコーヒーなんてだめだめ、と思っていたのに、UCCのアイスコーヒーを飲んでから美味しいし楽!と気づいてしまい、すっかりアイスコーヒーはボトルで買うようになってしまった。便利さに負ける。ホットコーヒーはいまだに豆を挽いてドリップしているのだが、アイスコーヒーをうまく作るのが苦手で、まさかここに落ち着くとは思わなかった。そういう、「だめだめ」が覆されるのがちょっと嬉しかったりする。

土井善晴先生の『一汁一菜でよいという提案』という本がとても好きで、いろんな人におすすめしまくったり貸したりして、どこにいったのか今手元になくなっているが、この本も「だめだめ」を、家庭料理の神様とも言える土井さんが「ええよええよ」と言ってくれるすごい本なので、ぜひみんなに読んでほしい。生活はたのしく。

しかし一汁一菜でよいと言われながらも最近は本当に食欲が出ず、ペンギンハイウェイのお姉さんにでもなってしまうのかななんて妄想をする(私もペンギンを出したい)。体重は落ちてくれているようだが、顔は丸いままだし現実は思うようにいかない。トマトジュースだったりポタージュだったり、相変わらず一人でいると流動食ばかり食べていて、今日は無理して買って来たお惣菜を食べたら2時間くらい機嫌が悪くなってしまった。食事によってこんな気持ちにさせられるなんてかなり面倒な体だとおもう。が仕方がない。まだまだ暑さで身体が火照ってしまってるし、またトマトジュースを買いに行くしかない。そしてそんな自分もだめだめ、と思わない方が結果として健康に良いと思っている(だめだめ…)。


九州演劇人サミットのこと


九州演劇人サミットと、その後のサマーパーティーに参加しました。とにもかくにも、持続可能な運営、というものが大きくテーマとしてあるなと思って、自分たちのスタイルで続けていきながらいいものを作り続けていくことが何よりも大切なんだなと。お誘いいただきありがとうございました。

九州のたくさんの演劇人と会うことができて、人見知りをしながらも、話しかけたり、声をかけてもらったりして嬉しかった。サマーパーティーでは1分間の団体PR時間を設けていただき、新しい作品についてもちょっと触れることができた。きっと5分くらい話していたかもしれない。すみません……。

ちょっと背伸びをした宣言などもして、叶うかなんてわからないんだけど、そういう気持ちでやりたいと思ってたんだ、と言った後にきがつく。でも、そうだよな、いろんなひとに勇気をもらったり、応援の言葉をもらっていて、よかったら本当に結果にしたいんだよな。

思えば、演劇を続けることで、本当に多くの素敵な大人に会っているな、と思う。作る側、でいるだけで、まさかあんな人にも、こんな人にも会えるなんて。生粋のミーハーなので、それが一番うれしかったりする。素敵な大人、というのは、まだこの先いきていくことを信じられるような作品を作れる人たちという意味だ。自分もできれば、そういう作品を作りたいと思う。

あー、いい演劇がみたいなあ。


犬とカレーとウイスキー


突然誘われ、さらに突然誘って、ケニーさんとみねおさんと一緒にカレーを食べた(モップみたいな足のかわいくてお利口な犬がいて最高だった、またぜったい行く)。その後、峰尾さんのお家でウイスキーを飲みながら、たくさんおしゃべりをした。猫には会えず残念だった。

にんげんのことをいっぱい話したのだが、最終的に演劇を通して哲学をしたいんだろうなというところにまとまった。それから、中学生くらいの時に世界征服をしたい(そうすれば世界が平和になれるという独裁思想)と思ったりしたことも話した。中二病とはいえおっかない。

さいきん演劇関係のひとたちと、たくさん話せている気がする。とてもうれしい。多くの人と一斉に、はむずかしいのだが、少人数で長く話せる相手がいることに救われている。何か、面白いことをたくさんしたいと思っている人といるだけでも、元気がもらえる。

眠りながら演劇のことをずっと考えていたようで、今日も夜は子どもとのWSの夢を見た。ただ、今回は本番でハプニングが起こり、助けてもらいまくりで、申し訳ないやらありがたいやら大変だった。


あたらしい仕事鞄


2年くらい使っていたPC用のバッグが、ぼろぼろになってしまったのを友人の鞄屋さんに見つけられてしまい、とてもよい感じの革と帆布の鞄をおすすめされて購入した。(ありがとう。)メンズ向けに販売されているもののようだったが、いつも使っている帆布のリュックサックもユニセックスのものだから気にならない。むしろ「女性用」とわかる鞄はいろいろと機能に制限があったり、持ち手が細すぎたりするので、PCと手帳や本を入れて運ぶには大変だったりする。すすめられた鞄は機能性重視という感じで、かつ見た目もすてきだったので、かなり気に入ってしまった。早く使いたいな。

革や帆布のものがとても好きだ。丈夫で長持ちするし、あまり性別を主張しないのでよい。京都で買った一澤信三郎帆布のポシェットももう4年ぐらい使っているし、前使っていた仕事用鞄も革のものだった(それも、使いすぎて底が破れてしまった)。ブランドもののバッグなどには興味がないが、そういった「長く使えるいいもの」に対して価値を感じすぎていて、かなり弱い。ただ、鞄屋さんは魅惑的だが、欲望のままに買えない金額だから助かる。

その友人によれば、今は軽い鞄の方が求められることが多いんだそう。確かに機能的には軽い方がいいのだろうけど、そういったものが好きな人間からするとすこしさみしい気持ちになる。今回もきっと酷使してしまうだろうけど、できるだけ長く使えたらいいな。


大きなアセビと暮らす


7月末に買った大きなアセビの枝が、いまだに部屋に存在していて、驚いている。太い枝ものは長持ちするよとは言われていたが、少しずつ葉が落ち最初ほどの元気はないものの、まさかここまで続くとは思っていなかった。アセビは食べたら毒があるらしく、買って来てその情報を知ったときは、「この葉っぱを全てミキサーにかけてスムージーにすると」、という結構ヤバめの想像などをして遊んだ気がする。木があるだけでホッとするので、おかげさまでそんな気持ちは起こさずにすんでいる。

今週は結果的に大きな動きのあった一週間だったわけだが、にしては、淡々と日々を過ごしていると思う。いわゆる「第三者的な目が上にあって自分を見下ろしている感覚」は小さい頃からときどきあったけれど、今はまさにそういう感じで、次にわたしがどう出るのかを見ている。そうすることで色々な考えなければならないことから逃げているのかもしれない。

ある劇作家とお昼ご飯を食べていた時、その人がいま書きはじめてしまった小説の話になった。人情芝居を書くのが上手い人(だと勝手に思っている)なのだが、その人はイタコタイプの作家で、書いていたらいつのまにか物語が進んでいるという。これは少し自分にも似ていると思う。それで、いつの間にか紡がれた話に、後から感動して「そんなことが起きてしまうのか」と自分で作った作品に落涙するのだという。そういえばこれも自分に似ている。

作家が作品に自分で感動してしまうなんてエゴがすぎるのかもしれない。しかし、自分のグッと来るレベルを超えていないものを外に出すなんてそっちのほうがお客さんに失礼だよななどと、サイゼリヤのカプチーノを飲みながら思った。むしろその「自分で感動しちゃう」ことで、淡々とした生活が救われるかもしれないと少しばかり思っている自分はかなり面倒な人間だと思う。


たぶん友情のために


この記事では時々やってしまう「少女革命ウテナ」についての考察しかないので注意。また、すっごいラストのネタバレしか話さないので注意。

永遠という言葉がすきだ。響きもいいし、字もいい。この字が永遠という意味を背負っていることがまるごと美しいと思う。そして私の好きなアニメ「少女革命ウテナ」は、永遠との決別の話だと思っている。

デュエリストたちは奇跡や永遠を望み、それを手に入れるために戦う。勝者は姫宮アンシーとエンゲージし、「世界の果て」からの手紙によると、アンシーはいずれ勝者を「永遠があるという城」へ連れていく存在だとされていた。主人公は決闘に巻き込まれた頃には、「女の子を取り合うなんて」と否定的だったが、だんだんと自分自身が「王子様に再会する(自分がお姫様という存在になる)」奇跡を願っていたことに気づき、そしてそれは姫宮にとっても自分にとっても破滅であることを知る。まあそういった話だ。

ウテナは姫宮の王子様になろうとして、なれなかった。しかし、姫宮は物語の最後に「学園という永遠」のなかで繰り返される決闘ルール、つまり姫宮自身と暁生との関係性を壊した。色々な考察があるが、これがふたりの少女による革命だと私も思っているし、これは奇跡ではなく、ふたりが培って来た友情や愛による革命だった。

姫宮アンシーは、暁生というかなしい兄であり元・王子様との共依存関係にあり、これは強く約束された永遠の愛、だった。この愛をつづけるために彼女は花嫁であり魔女にならざるを得なかった、という衝撃が高校生のときから自分の頭に大きな十字架のように突き刺さっている。

 

たぶん友情のために、というのは、12話・生徒会編ラストのタイトルだ。この話には「普通、になってしまうウテナ」「それに怒る親友の若葉」「冬芽の花嫁となった姫宮」の三人の関係性が描かれている。「たぶん友情のために」というタイトルはもちろんウテナと若葉に対する意味としてとりやすいと思うが、ウテナは「若葉との友情のため」だけに決闘したはずがなく、姫宮との友情の意味も含まれる。では「たぶん」はなんだろう。これが、「ついつい涙を流してしまった」姫宮の気持ちだったらと思うとつらくなってしまうし、このエピソードが姫宮にとって「永遠」との対峙の始まりなのかもしれない。

ともあれ自分の気持ちをだれも明確に言葉にできておらず、不器用な三人がみないとおしい。そしてこの複雑な関係性をギュッと一話で描けてしまう力が私は欲しいよ。