月別アーカイブ: 2018年1月

戯曲を書くことについていま考えていること


このように文章を書くときに、戯曲を書くときの脳みそを使えるのかというと、それはむずかしいような気がする。自分が文章を書く時に使うのはひたすらに語りであって、そこに対話があるかというと違うのではないか。私は一方的に紙、あるいはMacBookAirに向かっていて、その先にいる読み手のことを考えているかというと、ほとんど考えていない。とくにここに書いているのは、どちらかというと思考の整理みたいなものだから、基本的に対話を期待していない。

これが戯曲になったとき、登場人物同士は会話をしなければならないから、割と直接的なコミュニケーションをしなければならなくなる。さらに、それを使ってお客さんとコミュニケーションしてしまう。(もちろん無反応の場合もあるけど。)

よのなかの劇作家たちはどうやって戯曲を書いているのだろう。気になる。みんなどうやって、どうして、どんなはじまりで戯曲を書くんだろう。

もう一昨年のことになってしまうが、広島・アステールプラザの演劇学校で劇作家コースというものに通っていた。今まで好きで書いてはいたけれど人に学んだことはなかったから、しかも講師が喜安浩平先生ということで、ドキドキしながら通っていた。

ツイッターで呟いたり、何人かの人にはそこであったことを喋ったりもしたが、とても有意義な約半年間だった。なによりも自分が、戯曲を書くのが得意ではないのに書いていることがよくわかった。とにかく苦戦していたし、得意不得意で戯曲が書けるわけでもないのではないか、ということも感じた。

自分には「こうすればうまくいく!」ようなこともないとわかった。ストーリーづくりの本などを読めば、こうやってこうすればある程度うまくいく「型」があることがだいたいどの本にも書いてある。登場人物に●●させれば面白い作品を作れる。確かにそうだと思う。でも自分は「うんうん!おっけー!」と納得して戯曲を作る作業に入ることはできなかった。

もちろん型は無意識に使っているのだろうが、おそらく大量収集したあとに無意識まで落とさないと私は使えない。(技術的なところもあると思う)だからつまり今のところ、調べ学習をした後で熟考して、絶望して、書き直すしかない。

で、「面白い」作品を作りたいかというと、自分が書いているものは「面白さ」を売りにしてないような気がするし、すごいギミックなんてこさえられないし、そこにモチベーションは湧かない。

私が書きたい、やりたいのは、そっちではないとわかった。そしてそのために、「めちゃめちゃ考えなければならない」ということがわかったのが一番の収穫だと思う。

去年ちょうど同じ時期に、「まちがっても賞を狙ったり、面白くしようとしてうまく書くもんじゃないよ」と言ってくれる俳優がふたりいた。もちろん賞は、続けることができるのであればいつか死ぬまでにひとつくらいは頂けたらうれしいと思う。でもそのひとたちは「そういうことのためにやっているんじゃない」、を私よりも早い段階でわかっていて、言語化されていて、ありがたいなと思う。

さらに昨年の秋に再び喜安さんにお会いしたときの会話で、自分がなんのために演劇をするのかをけっこうしっかりと確認することができて、本当にありがとうございます。(その日、もみじ饅頭を買って新幹線で戻り、その足で稽古場に行ったら外は台風なのにもかかわらず人が集まっていた。)

学生の時にやった作品で、終演後お客さんからもらったアンケートの裏面に、その方が持っている複雑な家庭環境のことが書き連ねてあり、最後にありがとうございました、と書いてあった。作品を観て、なにかぴんと来たのかもしれない。演劇を、誰かのためにやるわけでもないけれど、演劇はコミュニケーションなので、ときどきお客さんからもらえる心を打ち抜くような返答が、つづけようとするひとつの理由ではあると思います。


すうがくぎらい


きょうの仕事で、情報の整理・種類分けすることが致命的に苦手ということがわかった。具体的な作業としては、「ゼロから表をつくる」というのがすごく、できなくて、すこし落ち込む。

文系理系でタイプを分けるのも時代錯誤なのかもしれないけれど、やっぱりどっちかというと自分は文系だと思う。小学生の時に父親に算数を習おうとして、突然「xを代入する」、というおそろしい呪文を教わったのだけど、エックスなんて、あまりにも日常になくて理解できなかった。もしx=1、が、りんご=1だったらよかったのか、いや、りんごは数えられるし、いや数えられた方がいいのか、など、無限に悩む。

12りんご+4=64 は、りんご=5

こうしてしまうと私は一体何をどうしてりんごに足したり引いたりしているんだろうと悩むから、やっぱりxの代わりはせめてyとかzなのだけど、xにくらべてyやzに親近感が湧くかというと、わかないよね…。


私はここに居ていいんでしょうかね


ある街で仕事を終えて、ひっそりとした個人経営のカフェでコーヒーを飲んで、さて帰ろうと駅に向かって歩いていたとき、知らないおばあさんから突然声をかけられた。

よく聞き取れずに近づいて「なんですか?」と聴くと、「私はここに居ていいんでしょうかね」と言われた。

熊本の、どこか、都会ではないけれど広い道路のあるまちだったと思う。周りに人はおらず、私はおばあさんを目の前にして何秒か固まった。

すぐに、おばあさんより若い女性がやってきておばあさんを連れて行ってしまった。私はおばあさんに、小さい声で「いいと思います」と返したけど、そのやりとりがなんともえんげきみたいで、思い切って言い返せなかったし、なんとなくおばあさんの反応を見ることもできなかった。

一年くらい前のことなのに、ときどき思い出す。元気にしているかな、もっと大きい声で言えばよかったなって思う。


すっ、と思いつくようになりたい


今年はできるだけさらっとアウトプットをしていこうと思う。特別な理由はないけど、考えないよりは何かを考えて手を動かしている時間が増えた方がいいと思うから。頭を使っている時間を増やして、もっと、スッといろいろ思いつけるようになりたい。すっと思いつくものがいいものとは限らないけど。

あと関係ないけど、すっとした役者になりたい。すっとした役者と会いたい。スッとしている人は立っているだけでいい。うらやましいなと思う。

今日駐車場で女の子がスキップしていくのを見かけた。あんまり軽々といってしまうので真似してみたかったが、今は腰がはちゃめちゃに痛くて、ちょっとむりだった。はやく腰治るといいな。