待つ、と待たせる、のこと

人生は短いし、できないとやりたくないはちがう。やりたくないって言うと相手の機嫌損ねるかもしれないが、やりたくないことはそう伝えておかないといつのまにかおかしな方向にいく、本当にやりたいのにできないならそれを伝えたがいい。今はできないんだよ〜いつかね〜で期待させて引きずるのは搾取、なんだととても思う。そのつもりはなかったのに待たせていたとわかったら謝らないといけないし、待つ方はもうダメだ待てねえーと思ったらそれを伝えていい。それが誠実さなんじゃないかなあと思う。

受験の結果を待ってる間冷静でいられる人は少ない。受験って言ったら大げさだけど、待つ間は目の前のこととこれから先のことが「待たせている側」に委ねられていて、「自分はこうしたい」をあまり考えられなくする。相手のアクション次第でその先の進路が変わるとき、それが例えば土日の予定くらいの大きさだったとしてもちょっとは緊張しているはずだ。(場合によってはちょっとじゃないかもしんない。)

待つのは大丈夫だよと言う人ほど、無意識に相手の時間を引き受け過ぎてしまい、その分脳のリソースをさかれてるってことだから、ほんとはしんどいはずなのに無意識だからなにがしんどいのかをわかりにくい。待っている間はこれこれしておくから大丈夫!ができるときはいい、それが待つ側にとってちゃんと自由を感じられる状態なら。時間つぶしが得意じゃなかったらけっこうな地獄だと思う。待たせている側もそれが搾取だと思っていなかったらなおさら地獄だろうなあと。待つのが上手になるのはいいことだと思うけど、無理なものは無理だと言ったほうがいいね。そこを見定めるのが難しかったりするけど。

最近そういう話を聞くことが多くて、「相手に強く期待させて待たせる」というのはとても気をつけないといけないことだなあと思った。それが大事な局面であればあるほど。ヒーローが最後出てくるときも待たせたな!って言うもんね。それは、みんなが期待していて、そこで出てこなかったら、、を背負っているがゆえにその存在はヒーローたるものになるわけである。嫌でも一度その役割を引き受けてしまったら、窓を開かないといけないときはきちゃうわけだ。つまり碇シンジ君は本当にかわいそうな子どもだと思う。

で、もしその期待された役割がどうしても続かない、「できない」とわかったら、ブーイングを受けてでも「もうエヴァに乗らない 」と宣言するあるいは「ディオスはもういないわ。彼は私だけのものだから、二度とあなた方の手の届かないところに封印しました」と言わなきゃいけないわけだ。それでめちゃくちゃになる社会がウテナの始まりなんだけど…って今度は急に少女革命ウテナの話になってしまった。もしディオスがもっと適当な存在だったらそもそもウテナや革命する対象は生まれなかったのかもしれない。ディオスは、期待を背負わされ過ぎ、人々を待たせ過ぎた側の不幸だ。本当に待つとか待たせるとかに良いことはない。世界はやなことばっかりだな…。

私は待つのめっちゃ疲れた族なので、もう人に期待しないように生きている部分もおおいにあるんだけど、しっかりとコミュニケーションを取れた上で期待できる人たち、というのはとても好きになるんだというのもわかった。演劇だって仕事だってきっと恋愛だってそうで、そこがクリアになっていれば契約書はいらないんだと思うし、できるならばそういう人間関係をつくりたいなあと思う。もちろん急がなくていいものは急がない。やりたくないものをやりたくないって伝えるし、今じゃないものは今じゃないって言う。それがいつかも一応伝えようと思う。ホウレンソウ、とかいう、脳みそが追いつかないようなことばは好きじゃないけど、待っているかもしれない人を待たせないように気をつけようね、ってことなんだろうなあ。