海老の尻尾を食べるかどうか

灯台とスプーンの集まりでうどん屋さんに行って海老天うどんを頼んだ。そこでたまたま「人に合わせてしまう」ことについて話していて、例えば相手が海老の尻尾を食べるか見て、自分も食べないか決める、みたいなところが若い時とくにあって、今でももしかするとそういうことがあるかもしれないということを考えた。

私は結構尻尾、食べれる時は食べたい(ときどきダメな時もある)のだけど、いっしょにうどんを食べる相手がもし尻尾を食べない場合、自分もなんとなく食べないほうを選択してしまうという話をした。そんな感じでいつのまにか、私はだれかに合わせて生きていて、きっと海老の尻尾くらいで嫌われたりするはずがないのに、そのレベルのことで何かを恐れたり、気遣ったり、してしまってるんだねという。きっとこれからも私は緊張する相手の前では海老の尻尾を食べるか迷う。そういう人間です私は。よく言えば、相手の持つ小さなルールに合わせてしまえるくらい敏感なわけで、ただそれだけ自分はどうしたいのかを手放してしまいがちだから、なんどもなんども自分に問いかけていく必要があるなあとも思う。

こんなこと言ったけど嫌われちゃったんじゃないかと家で反省してしまうのは、海老の尻尾食べちゃったけどあの人怒ってないだろうか、とだいたい同じで。でも、それくらいのことで、人は人を嫌いになれてしまうのも知ってる。やっぱり満員電車で隣に座ってきた人がガツンと足を広げてきたら嫌だし、駅で大声で笑う酔っ払いたちも好きじゃない。博多駅を歩いてて、すれ違う誰ともべつに友達になりたくない、みたいなことも思ったりする。うどんを食べるとき、海老の尻尾について考える必要のない友達は大事にしたいなと思う。