まぶしくてたまらない

去年まであまり多くなかった演劇をやっているひとたちとだんだん交流をするようになってきて、あの人も今公演期間、この人も公演期間、で、で、という、好きな人がみんな何かを作っているモードにある。これは、すごく嬉しいと同時に、焦りの原因にもなっているなと思う。いろんな創作があって、いろんなアプローチ、目指すもの、出るひとたち、それぞれ違っているし、自分が作るものはそのどれでもないともわかっているんだから、焦る意味がないこともわかっている。わかっていながら、みんなのまぶしさを浴びて、毎週演劇が起こっているこの福岡を、九州を、日本を、世界を、前にして、とほうもないよう、、という気持ち。みんながまぶしくてたまらない。一種の恋のようなきもちだ。でもこんな、体に悪い心臓がぎゅーーと掴まれるような感じはなんなのだ。つらい。つらいけどわたしもがんばる。まぶしいひとに負けないように。

 

(読んでないだろう人への私信。ぼくの空っぽの音は水が落ちていく音かな、みたいな話をちょっとしたけど、そのことについてまた考えててさ。蛇口から落ちて何にも引っかからずにそのまま排水溝にまっすぐ落ちる水は、スーーという音を立てる。たぶん、Cisあたりの音がスーーーっというかんじだ。で、やっぱりこれは時間だと思うんだ。Cisという時間。なかなかいみしんだろう。いや、そもそもからっぽなんかじゃないはずなんだけどさ。それにしたってこの文体はなんなのだろう。)