アウトプットのマンネリズム

男はつらいよが好きだということは結構いってるんだけど、何が好きかというと「気持ちいいシーン繰り返す」ところにあると思う。「待ってました!」だ。この繰り返しの妙味は、セーラムーンの変身やウテナの決闘場へ向かうバンク(アニメのバンクシステム、シーンの使い回し)にも言えることで、本当にすぐれたものは何度見てもいい。逆に言えば、繰り返しが通用しないものを繰り返している作品は飽きてしまうし、拒絶反応が出てしまうんだなということを、先日観たえんげきで強い実感として抱いた。もちろん、好き嫌いの要素もあるとも思うけれど。ずっと見ているファンが「待ってました」と言えるような繰り返しができるようになればとても胸が熱くなるんだろうな。そのためには観る人が何を「待っている」のか、を、知る必要がある。

待っていない退屈な繰り返しは避けたいけど、作り手がもしこれが良いんだよ!と信じすぎていたら避けられなくなってしまうので、ここは難しいところだとも思う。作家にとって一度得意な型を作ると、それを出来るだけ生かして使うようになる人と、違う型をさがす人といて、同じ型を使う場合はそのやり方が本当に何度見てもいいものなのかを検証する必要がある気がする。それは本当に「良いシーン」なのか、問いを持ちつづけること。っと、じぶんでえらそうに書いてるけれど、これを自分が実践できるかはわからない。とても無責任だけどここはブログなので許して欲しい。

これは脚本だけじゃなくてデザインにもあてはまるもので、アウトプットのマンネリズムにはまらないためにはどうすればいいのかをよく考えておかなきゃなと思う。去年、すごくデザインを作るのが辛かった時に読んだ「デザイナーとしてのゆるやかな死」を思い出す。気がつくと死神は近くにやってくるので、インプットを忘れないようにしたいよね。