胸を張って嬉しそうに歩きたいな

2年か3年前、近所を歩いていた30代くらいか、かっこいい女性とすれ違った。とくべつなにか、すごい格好をしていたわけではないのだけど、そのひとはぴったりのサイズの黒いブーツを履いていて、しゃんと歩いているように見えた。あと、なんだか嬉しそうだった。それで、それを見たときに、その時の私の精神状態がどんなだったかはもう覚えていないのだけど、あーーー、あの人になりたいって思った。

胸を張って歩きたい。もともと姿勢が悪くて猫背だから、っていうだけじゃなくて、あの胸にはいろんな自信とかよろこびとか、これまでのうれしかったことかなしかったことが詰まっていて、それでも世の中に向かって胸を突き出して歩いているんだ、と思った。

女の体を持って、胸があることが、とてもよくないことのような気がしていたことを思い出した。これがあるから、いろんな誤解が生まれるし、これがあるから、自分は恥ずかしい生き物だと思っていた。そもそも自分が3Dの存在であることに違和感を感じていたのもある。もともと立体の認識が弱かったのもあるかもしれないけど、3Dであるにしても、なんでおっぱいがあるんだよ…って違和感はずっとあった。

やっとこの身体になれてきた。みたいな言い方をすると憑依してる幽霊みたいにきこえるかもしれないけど、実際そのきもちが強くて、魂のほうがすごいぶっ飛んでるのになんで私の体はこんなに小さいんだ?なんでこんな顔をしてて、しかも胸があって、しかも肩とか腰とかすぐ痛くなるし。

SFで見る「液体の中に脳みそを浮かべて脳だけめっちゃ生きてる」みたいな感じの方が意外としっくりくるのでは、なんて想像をしたこともある。きっと身体の変化に心が追いついてなくて、20代の後半になってきて、身体の形が一旦安定してきたから、追いついてきたんだろうな。

やっと追いついてきたのに、妊娠したら、どうなっちゃうんだろう。

自分の身体の認識もやっとわかってきたばかりなのに、そこに同世代のともだちの何人かは、別の命をやどした。それは、別のものなのに、自分の体をつかってつくるわけだから、私はいろいろとごっちゃになってしまうんじゃないかって、想像したりする。今の所、そういう未来はない場所にいると思ってるけど、これまで「これはない」、って言い切れるほど予測できる未来を歩んでいないので、わかんない。

はなしを戻す。胸をはりたい、という気持ちが生まれてから、どうして私は胸がはれないんだろうということを時々考えるようになっていった。自信がない、ってことだろうか。つまり、背が低いから?顔がきれいくないから?父も姉もおそろしく頭が良いなかで自分だけ九大に受からなかったから?早稲田の院に行くのを中途半端に諦めたから?むりして家を出たから?好きな人と一緒になれないから?(ろくに出してもねーのに)戯曲賞が取れないから?いい仕事がこないから?お金持ちじゃないから?健康保険を払い損ねてたから?それとも確定申告がいつもギリギリだからか?

いや全部なくてもべつに胸ははっていいはずじゃないか?おっぱいは隠せないし、ないことにできないものを「ある」と宣言して生きるのは悪いことじゃないのでは?

胸を張ることに理由ってないのに、なんで自分はひそひそと隠れるように生きているんだろう、と思った。実際、隠れてなきゃいけない案件や、隠さないといけないと思い込んでいる胸はあったけど、隠すことはそれはそれですごくつらかったんだと気づいた。だってあるから。あるものを無いとは言えない。

それでがんばって練習してる。今もまだあんまりうまくいかないけど、がんばってる。という、つまらぬ記録でした。

この気づきをもたらした女性みたいに、街を歩く、というだけで、だれかを振り向かせることができるかもしれない、っていう、気づきもあった。