フェミニズムという謎

いままで自分が描こうとしていたことが、フェミニズムだったんだと気づいたのが一昨年の公演だった。「フェミ」という名前が、ツイッター上ではとてもいやなバッシングを受けている言葉だったことで、そのなまえを使うことにずっと怯えていただけで、私はずっとフェミニストだった。きっとたぶん、高校二年生の時、少女革命ウテナを観た時から。

「フェミニスト」が、本来決して「男の敵」「男に媚びる女の敵」という意味ではないのに、そう扱われるのがずっと謎だった。複雑な問題を「ほどかず」に、ストレートに表現すると生まれる誤解が蔓延していた。今もまだ蔓延している。だから、旗揚げしてからも女性の話は書いているけど、フェミニストとしてのフェミニズムの物語は書かないようにしていたようだった。ずっと、自分がなにを描こうとしているかうまくいえなかったけど、けっきょく描きたいのは男と女の対立でも、女と社会の対立でもなく、ある人の生きる物語でしかないんだってやっとわかって言語化できるようになった。

それは、「フェミニズム」にすこし向き合えた結果なのかもしれない。と、先日北九州で「まつわる紐、ほどけば風」を観て思った。演劇を見て自分の演劇観に気づかされる。ふしぎな時間だった。

そして、こりゃあまた、新しいの書くのに時間かかるだろうなあとも思った。