変わりたい、と思う感情の手前で

どうやっても拭い去ることのむずかしい自分への許せなさが一体なんなのか、そこまでおいこんで辛くなって何の意味があるのか、どうすれば超えられるのか、時折異常な足掻きをしてしまう日がある。その原因に、自分の心に問題が、あるいは習慣や、過去自分に起こったさまざまな辛い事件のせいだとか、環境が悪いのではとか、コンプレックスが改善されていないからだとか、いろんなことを列挙し、それを抜け出し関係なくいい大人になっていくために、今何をしなければいけないかを大量にリスト化し、手当たり次第(特に、お金をかければすぐに解決するものから、生活を脅かさない範囲で)に「解決」しようと、本や、衣類や、髪色や、その他さまざまなものを、買ったり変えようとする動きがときおり大きな波でやってきて、変化を起こし、それを重要視していた。

だがそれを繰り返すうちに、思ったより重要ではないことがわかってきた。気持ちが切り替わるのはいい。でも、頭打ちだ。全てが変わるわけがないのだ。変わりたさはむしろ自己否定から生まれる祈りだった。テセウスの船的な、全部入れ替えたら別人になれる可能性とか、新しい理想の自分をつくりたかったし、過去の私は「私ではない」と思いたかった。でもそんなことはない。私はずっと私のままで足掻いている。

孤独や自分を認められない苦しさから足掻いた結果、結果がでていることも、たくさんある。演劇やデザインの仕事はもちろん、20歳やそこらでは考えもしなかった食事や健康の知識、服やプロダクトのこと、思想、投資、交渉の仕方、どうありたいか、どこにならお金を使えるか、お金が必要になった時にどういった行動をとればよいか。たくさん冒険をした気がする。失敗も成功もある。最近はほとんど朝から起きて夜はねむれるようになってきたり、そういうことは、えらいとおもう。

ただ、この許せなさとか、ときどき夜わけもなく泣いてしまい止まらなくなってごめんよとなる気持ち、が、なんなのか問題が、この数ヶ月でふたたび浮上している。原因を探すのは良くないと思っていたけど、じっくりと根の部分を見るようになって、やっぱりこれは子ども時代から悲しいとか寂しいとかを放置しすぎた結果なんだろうなと感じている。

問題が起こっても細かくケアできず、しっかりとケアしてくれる対象もなく、新たな問題がいくつもかさなり、さまざまなストレスの渦中にいたころ、湧いてくる感情は主に「怒り」だった。思春期の、親に対してずっと気持ちをふさぎ、言葉を発さず、反応をしないことに決めていた時代に、父から「怒っているのは悲しいからだろう」と言われたことを覚えていて、でもそれは言葉ではわかっていてもまだ受け入れられず、いくつになっても防衛反応がずっとつづいているような状態だった。現実から逃避し深夜までインターネットに浸かっていたあの頃、たしかにネットの友達との交流が楽しかったことも事実だが、その頃同時に、母の心の調子がよくないと突然夜車でいなくなることが起こっていた。どこにもいかないでほしいと思っていたから、深夜遅くまで起きて、全員が寝ていると確認しないと寝ない、という、健康にとてもよくない習慣が生まれた。その頃から、絵を描いたり文章を書いたり、創作に没頭していると悲しさは薄れた。2ちゃんねるなどを読んでいるとろくでもない大人たちがたくさんいて、多くの人ってそういうものなんだと見下し、割り切れた。つらいときは寝ながらとりあえず涙を出し切るようにした。

ただ、家族が完全に「ヤバい」かというと、そういうわけでもない、私がひっそりと泣くことに失敗したとき、父がそういう私の姿を目撃したときは決してほったらかしにして寝たりしなかったことを思い出した。どうしたのと起きてきた心の調子がたまたまいい日の母は、いやいやあなたのことでしんどいんですよと言えなかったけど泣いている私にとても優しかった。でもわたしはそのたびに複雑になり、その気持ちを言語化しなんとかしてくれよとも言えず、実際なんとかすることは誰もできず、ただ泣いているそのことを「自分の悲しさ」とか「自分の弱さ」と定義されるのが嫌で、受け入れられなかった。

寂しかったし怖かったし悲しかった。そういうことを素直に伝えられなかった。ここに縋っておけば大丈夫だと、守られているという実感がなかった。大人でいなければならないと思っていたし、それと同時に徹底的に自己中でいなければならないと思っていた。あなたたちなんかに私は左右されずに生きていきますよ宣言をしなくてはいけなかった。お金持ちになって自分と、自分が守りたい人を助けようと思った。どうやって、とかそういうことではない。それを決めておかないと、そしてどんなにバカでも「どこか達観しているね」とか「大人よりも利口で口が上手くて生きる力があるね」とか、一人で大丈夫だと思わせる必要があった。誰かに泣きついて助けて欲しいと言ってはいけない。ほら一人じゃ何もできないじゃないかと言わせてはいけない。でもそれは、結果的に不幸を呪いつづける要因になったと思う。「うちひどくてさー」と、被害申告をするたびに、「ひどくなかった」大切な時間を、やさしくされていた時間を塗りつぶさなければならなかったからね。そして残念ながらその温かい時間の記憶があるせいで、たとえば毒親とか虐待だとかいう、極端な言葉で切れない、それを認められない、だから自分にも原因があるはずだというループを繰り返すばかりだった。

そういうことを、子どもたちとか、10代の創作者たちとか、「健康で守ってくれる親」に育てられてきたり、私のようにつらい(それを比較することはできないが)思いをしながらも生きてきた健やかでやさしい人たちとふれながら、自分の過去を思い出す回数が増えていき、明確なやりとりもあり、この数年で大きく、自分の心を見る解像度はあがってきたと思う。強く大きく広い心を持って生きなければと思う時期が長くあったが、そうではなく、自分の弱さを受け入れられるようになり、できなさとか、頭のよくなさとか、今まで自分に抱いていた期待や、もっとレベルをあげなければならないという強い個人的要請を、おっとちょっと先にケアにまわさないかい?と立ち止まれるようになった。なぜなら、これを放置しておけばきっと誰かに繰り返す可能性があるからだ。絶対に繰り返したくない。絶対なんてないけど、心の状態をできるだけ言語化し、他者に伝えられるようでありたい。甘えるにしても、遠慮されたり気を遣わせてこちらの幼稚さでいつのまにか甘えているという状況でなく、できれば被害者としてでなく、対等な人間関係の中で意識して甘えたい。

だから「変わりたい」が強く起こるとき、このままじゃだめだ、と思う時は、今のじぶんの心のケアが必要になる。そしてケアがなんなのか、それをよく、耳を澄ませる必要がある。果たしてそれを埋めるに、高い服を買うことが本当にいいのか?爪を塗るのがいいのか?ケーキか、味噌汁か、歩くことか、おしゃべりすることか、化粧品か、お茶やコーヒーか、ゲームか、音楽エトセトラか。暖かい風呂に入ってすかさず寝ることか(こういうときは眠れないことが多いけど)。アクティビティ自体は実際なんでもいい。でも、眠れないからと酒を飲んだり人につっかかったり、自棄になってはいけない。耳を澄ませる。そういうときは、特に、わからなくなっていることが多いから。何もしない方がいいときも本当はあるはずなのに、じたばたしてしまうこともある。それはその時なのだけど。そうなった時でも、自分に期待していることは間違いないから、もがくのだろうし。

それがあるおかげで、「作る」ことに満足していないという面はあるなと思う。自分に期待しながら、いまだに演劇で自分が積んできたものを、実績だと思えない。すぐにゼロに戻ってしまい、人と一緒になにかしていても「自分だけが素人」だと思ってしまうことが多くあり、すごくよくない。人と比べてマウントをとったりとられたりでなく、自分の中でどう自信をただしく作っていくか。そのむずかしさ。なぜって表現をする時いつもどこか傷ついたり削れるので、その果てにできたものを認めるのが下手で、そのくせ新しくものをつくるとき、前できたものを越えられないんじゃないかとも思う。どちらも大した問題ではないのにね。ぜんぜん恐れなくていいんだよって年下の人たちには言えるのに、自分が一番びびっている。だから、今もまじめにえんげきをつくっている人間には本当にあたまがさがる。

作ることがいま必要なのかもわからなくなるときはある。なんのために作るのか、わかっているけど、作品にまでしなくていいんじゃないかとか。コロナ禍でチャンスが大きく潰れ、傷つくこともあり、こんなに辛いのになぜつくるのだろう。評価されることをどこかあきらめているし、でもいいねと言ってくれる人、きっと客席に一人はいるだろうみるべき人、には届けたい。柳田さんと話していたときに「最近、ケーキ作るようなかんじで書いてる」と言ったら、「それは前からそうじゃん」と言われた。たしかによく私は創作時ミルフィーユとかミルクレープを例えにしていたな。きちんといい時間を積んで、いいものをつくりたい。

では巷に溢れる市販のケーキを食べず(演劇や映画等を消費するだけでなく)おいしいケーキづくり、演劇をやっていて豊かだったと思うときはいつか。それをまたできるように作っていけばいいんじゃないか。作品を見た後に、自分に起こった「悲しかったこと」をアンケートの裏に書いてくれた女の子のこととか、目をなみだでひたひたにしながら、あるいはにこにこしながら帰って行った人とか、3回観てくれて「(ある問題について)やっとわかった、ありがとう」と言いながら強めの握手をしてきた人とか。大変だったけどうれしかった、満足した記憶はたくさんある。そんな時間があったのは事実で、きっとそれは「積んできた」もので、それも自分の人生の中ではミルフィーユの一層になっているのかもしれない。自分が食べたいおいしいケーキを、評価されるためじゃなくだれかと出会うために作りたいよなあ。