ハッピーな洞穴生活

思ったことをはなしたとき、それがフェミニズムのことであっても自然に話をできるようになり、そういう30代がはじまっていることにはとても大きなうれしさがある。フェミニズムがどう、ではなくて、考えていること、思ったこと、ちょっとおかしいんですよねと感じていることを発して、変な議論とか、妙な喧嘩にならない相手が、幸いなことに自分の周りには多い。ハッピーな洞穴に住んでいる自覚があり、でも穴の外に出た途端吹き荒ぶ風に乗って飛んでくる雹や霙や槍、見たことのない荒野がある。貧弱なので、ちょっと顔を出したくらいで傷ついてしまう。

ただ、洞穴は辿り着いた場所の一つでもあると思う。学校社会という閉じたところから出て、その社会を否定し、マジョリティでありながら少数派的意見を静かにあたため、ちいさな連帯をしていきながら、荒野を渡って見つけた集落のイメージがある。いろんな集団を見て、いろんな個人を見て、あれはいいとかこれはちがうなとか、自分にちょうどいいものをさがす。私はホットコーヒーが好きで、PCを使って働くのもまあまあそこまで苦痛はなくて、脚本を描くためには超集中できる時間が必要で、こころの状態をしゃべれる相手がいると安心し、それなりに睡眠時間が必要だということ。すごくおしゃれしたい周期があるときと、毎日おなじ服でもいいとき、とにかく本を読みたいとき、いい映画が上映されてなくてがっかりするときがあること。お金の心配を過剰にするときもあれば、なんの興味もないときもあること。靴や服が一般的なサイズではないのでよく探す必要があること。たぶんパーマをしているときのほうが髪と見た目の収まりがいいこと。鏡を見ないでいたら気づかずに済むけど自己認識と格好のずれって意外とストレスになるよねということ。かっこいい大人になりたいなと理想を思いうかべながらバスの中でサンドイッチを食べてしまったり行き当たりばったりでコーヒーを買ってぼんやりと歩いている日があること。部屋やカバンの中がきれいじゃないこと。これについては本当は綺麗でいたいと思っているけど今の部屋では難しいことも知っていること。

日々はそういうことでよくて、なにか特別がおこる必要はない、ただくるしみやかなしみがやってきたときにケアしあえたらいい。安心できる洞穴があって、シェルターとも呼べて、そこには怖いものがやってこず、あたたかくて、ときどき悩んでじたばたしたり、自分を責めてしまうようなときも休むと切り替えてべつの仕事を始められたり、外の様子に傷ついて泣くことも、困った時も誰かに話したり泣きついたりできるような空間。コロナ禍が始まった時は森に引きこもりたいと言っていたけど、本当に内向的世界観は変わらず、ほかほかとしていたいのだろう。

ときどき外にテントを立てて、あるいは劇場を立てて、誰かに会うみたいな感じで演劇をするのもひとつの手だと思う。やってるからおいでよみたいな。他にも面白いものはたくさんあるけど、あの人とするキャンプは楽しいしいもんねというかんじで、一緒に遊ぶのはどうだろうかと。もとより演劇ってそういうものだよね。「内容がわからないものにお金を出すなんて」という構造について言われることもあるけど、パーティーとかキャンプの参加費みたいなものですよと言えば、そこでなにを見たり感じるかはその人次第であるもんなとあらためて思う。

それで、それをつくるために脚本を書こうとしているのだけど、まだうまくエンジンがかからなくって頭の中身をとりあえずとりだすためにここに書き連ねている。健康で文化的な最低限度の生活を守れるようにしたい。