越冬のために

今年の演劇創作の仕事がすべて終わり、来年のことを考えようと思いつつも少しゆっくりしたいと願う。それ以外の仕事は12月末までに戦わなければならないものも多くあるが、同時に冬がやってくるのをじわじわと感じている。今年は秋の時間が長く、いろんな人と涼しい道を歩いた記憶があり、それはとてもうれしかったななど思いをはせつつ。今年の冬はとても寒くなるらしく、気をつけておかないとなと思う。寒さとか、鬱々とした気持ちとか。

十数年ぶりにバドミントンをやった翌日、肩が猛烈に痛く、一日中常に気になる状態が続いた。日々気をつけて腕をまわしているつもりでも、整骨院に通っているつもりでも、根本的運動不足で状態としてはずっとマイナスのままなのだ。本当にこのままじゃまずいと思いつつ、急に運動!というわけにはいかないので、去年買ったオムロンの電気治療機で家でも電気を流す。そして今日はとうとうゆたんぽを解禁し、デスクチェアに座って背面で挟みながら作業をしているのだが、結構いい気がする。

去年は引きこもってゲームばかりしていたが、今年はできれば買いに買った本を一冊ずつ読んでいきたいと思う。興味の方向性が年々変化していくし、自分の本棚はやはり自分の日々考えていることや願いや課題がつまっている。すべてを読み切ることができなかったとしてもいいが、でもこの数年で読んで血肉になった考え方をふりかえると、やっぱりあたらしいものは入れていきたいよなと思う。ゲームもしたいけど。ただ、本を買うという行為はもともと持っている収集欲からきており、読んだこととか観たことが簡単に自分の「実績」のような扱いを受けないように気をつけたい。たとえ良い映画を見たとしても、素敵な人とちょこっと出会えたとしても、それは実績ではないよなと。着飾ったり武装するためにコンテンツを消費するべきではなくて、それを通していかに考えるかなんだよなとわざわざ書くのは、若いころの自分への自戒みたいなところからきているんだろうか。

今年のはじまりは、ここ数年何も実績を残せていない(と思っていた)自分への嫌悪がひどくあり、何もしていない日でも逆に頭はいっぱい働いて疲れきり、どうすれば打開できるのか、でもうまく自力では動けない、が続いていた。人とのトラブルもあり、そのやりとりの中で透けて見えてしまう相手のままならない要求や、逆に自分がただしく対応をすればよかったのに、幼さ故に間違えたことの後悔など、考えざるを得ないことが続いた。まだまだ発語に対する恐れや自信のなさがあり、それらが原因で「より正しく細かい情報を伝えたいと思って言ったことが、逆の意味に受け取られる」ようなコミュニケーション下手さなど、話をしてみるとまだまだ自分の癖で気をつけた方がいいことはありそうだなとか。

そういう、コミュニケーションの「恐れ」とか、自分の発言がどういういきさつで発されたのかを考えていくうちに(ようは、先にアウトプットされた台詞のサブテキストを、自分で検証するみたいなことを繰り返す)、ほんとうに自分がほっとしたり安心することは何だろうか、とか、見栄や体裁をすべて差し引いてうれしいことや、ほしいもの、必要なものが何かを考えることが増えた気がする。インスタントに手に入る満足のために自分に嘘をついていないだろうか。誰かによく見られるために変な溝にはいってしまっていないか。思ったことを言っちゃいけないとか、思っちゃいけないなんて誰に言われ、誰に気を遣って生きているのか。これは生き続けていると、時によってはまだ迷うことがあるのかもしれないが。

そういうことをしたりしつつ、夏から続いた忙しいシーズンを終えた。大きくは3つの現場があり、「実績」というか、これは自分にとって大切だと思えるような経験を与えてもらい、おかげで今は自分に対する納得もあり、なんだか元気でいるようなきがする。ただし、このような精神状態はその与えてもらった現場のおかげでもあり、自力では無理だったのかもしれない。つまり期待をしすぎていると、いつでも苦しい方に戻ってしまうのかもしれない。今までがそうで、いつでもゼロに戻ってしまっていた(自分は素人で、経験値もなくて、あなたたちのように上手くはできないですよという態度をとってしまっていた)から。だから記録しておこうと思って書いている。そして、逆にこれを越えることができた「わたしはちょっとすごいんですよ」にならないためにも。いや、私はすごいところもあるよ、とあくまでも心の中で思えることはなかなか健全な状態だとは思うけど。足りていないことは多くある。

非売れの木村さんが「なにもやってないシーズンはリサーチだと思えばいいんだよ」と言ってくれた言葉をたいせつにしたいと思う。確かに、生活をしていて考えたことや気づいたことが、自分の肉を通って作品になっていく感覚が、Aliensを書いているとき特にあったよな、とか。そしてまた考えるために作品がつくれたらいいなとか。

ともだちと話をしていて「今までは苦しいのが過ぎ去るのを待っている顔をしていた、今は苦しいこともあるんだろうけど、元気そうな顔をしている」と言われて、それがとてもうれしかった。さまざまな問題や対応しなければならないことやもっと越えるためにしなければいけないことはあるのだけど、ベースの生活になんとなく満足とか安定がある気がしていて、それはやっぱり自分の周りにいるあたたかな人たちのおかげで成立している。こんなことはそうそうないですよ、と、思います。