LOVE ME, LOVE YOU.

今だけなのかもしれないが、精神的な状態がこの数年で最もよいと思っている。明確に、あのこと、そのこと、このこと、があったから、ともわかる。で、やっと自分の仕事について、落ち着いて考え、腰を据えて取り組めるような状況に向かっていると思える。いつかある人に「いつも作品創作のことで悩んでないで、人間関係とか別のことばかりで時間費やしてますよね」と言われたことがあり、本当に、そうだなと自分の人生を憂いたり、なんで私はいつもこうなんだと、くるしいよーみたいな気持ちがあった。それが、今はなにか、さまざまなことが起こったおかげで、私は私の気持ちといやでも立ち向かいはっきりさせる必要があるということに気づき、そしてその責任をとれるのも自分だけだということを決めたからか、ただ頑張ろうということを自然と抱ける状況に転じている。

できれば「あれのせいで」「あの人のせいで」と、もう言いたくない。自分の周囲に渦巻く問題は実際解決されていないものもあるし、人間関係というものはそれら全員が生き残っている限り、というか、たとえ死んだとしても、続くと思う。でもそれもいいものだと思う。私には関係あるけど、関係ない。私は私の心にしか責任をとれないし、だいじにする、と決めたもの以外、手を離したものについて特別な関心も持てない。いい人の顔をするのも限度がある。でもそういうものじゃないか、人同士が生きるというのは。と今はすっきりしてしまったので、いまさらくろぐろとした気持ちを取り戻す気にもなれず、でもそんな人の姿を物語で読んだりしてはかわいいなと思いつづけている。あれは私だったかもしれない別者だ、という認識をもつ。そういう違い、があることを認められるようになり、一緒でないことを祝福できるようになったので、いろいろなことを書きやすくもなった気がする。

この半年ぐずぐずと悩みつづけ、書けないを繰り返した果てに、先日あたらしい作品が一本、形になった。やっぱり、「おしゃべりをする」ことが、自分の救いになるのだということがよくわかった。はなしをする。はなしをきく。すごくいいものだ、と思えるのは、思っていることを伝えても、それがたとえどんなに低レベルなことであったとしても、自分の自尊心が守られる人と話せている場所があるからだ。恋人や友達と話すときも、仕事相手と話すときも、部員の方たちと話す時も、父親と話しても、そこに「あなたそのものを否定していない」、ということがいつも伝わっているとき。そして相手もその状態であるとき。住んでいる国や、話している言葉が母国語でなかったとしても、話せるし、自分として応答ができるのだ、という、とてもまぶしい気づきに、いやまぶしくてたまらない。ビッグラブ以外の何ものでもない、コミュニケーションのたのしさ。

でもそれに行き着けたのは、さんざん「私はいつもなにもできていないし頭も悪いし戯曲賞も取れないし生存する価値などない」と言い続けた人間に、「いや大丈夫でしょ」と言い続けてくれた親しい人たちのおかげだともいえる。やっとわかってきた。もう少し自信をもとう、みたいなことに。だから、それを踏まえて、それがわかっている相手からであれば、指摘されることもすごくありがたい。結局は関係性をとり合う努力、なんだろうな。

台湾の演出家スーインさんが、本番前日の楽屋で、私のPC(の、ど真ん中、りんごの真横)にシールを貼るといういたずらをした。シールには「LOVE ME , LOVE YOU」と書かれている。オイオイオイ謙虚さのかけらもない場所に貼ってしまってあなたは!と突っ込みたくなるのはさておき、でもど真ん中に愛を貼っていけるその力が本当にすごい(特別何かを考えていない、或いは悪ノリの可能性もあるが)。ラブだ、と軽率に言う私を越えて、ラブをはっきりと残して彼女は国へ帰っていった。犯行現場を見ていたななさんが「もっと自分を愛するべきってことだね」と補足、というか、私の記憶に追記した。毎日使うPCにそれを貼られてしまったのだ。そして目に入るたびに、そのシーンを思い出させる。彼女は2週間、いつもこちらの扉を叩いてきた。応答がなくても玄関開けて入ってきてしまう宅配員級の「ごめんください」だった。開けるのがときどき嫌なときもあったけど、でも扉を叩くのも勇気なんだよな。

と思ったけど、彼女と会った翌日に言われたことで覚えているのは、言葉がわからない者同士で、通訳がいなくても英語やPapagoで真剣に話しかけてきてくれてありがとう、だったなと思い出す。もしかして、彼女のウザさ(褒めている)が、私からはじまっている可能性が浮かんだ。