死なないために服を買う

基本とくに物欲もなく、ときどきおいしいものが食べられたらいいなぐらいに思って生きているのだが、今年の春に買っていて秋に届いた服がとても気に入って、その追加販売(しかも春にはなかったとても綺麗な青)があることを知り、ぐぬぬ全然安くないがどうするか…と考えていた。でもそういうときいつも心の中にいる太宰治が「来年も死なないために買っていいよ」とささやく。

『葉』のわりと冒頭部分だ。

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

最終的にこの人は(この人っていうな)愛人と一緒に川に飛び込んで死んじゃうわけだが、私はそういうわけにはいかないし愛人どころかひとりぼっちを極めている最中なので、ありがたくこの一文だけを使わせていただく。ありがとうございます、先生。

それで、結局注文してしまったので、とてもドキドキしつつ、たのしみっでっす。物持ちだけは異常によく、夏までどころかたぶん10年以上着るはずなので、いいことにします。

お金を遣いすぎているな、まずいな、とたびたび思うのだけど、自分の経済感覚は普段使わずにときどきドカンっていうタイプなので、実際そうでもなかったりする……なんていうのは言い訳だ。ただ、単純に毎月の収入に差があるため自然と消費欲求が抑えられていて、かつ入稿代行で印刷屋さんに発注したりすると普通に一旦10万円程度はふっとんだりするので、ドキドキしてしまうのは仕方ないところでもある。じっさいカード明細をみると食費とコーヒー代ばかりで、年単位で見ると回っているので、まあよいことにして生きている。いつまでフリーでいられるかはわからないが、今の所スリルある人生、ばんざい!ということで…。

身長や童顔のせいで見た目があまりにも年相応に見えないので、ちょっと「ここはがんばらないと」という時やそういう人に会いに行くときなどは、すこしばかり質がいいものを持っておくことで武装する必要性は感じています。コミュニケーションさえとれれば、すぐに解除してしまうレベルのものだけど。

こういう、大したこともない日々をだらだらと書くことが許されるブログは自由でいいな。一言で言うと「ちょい高い服を買った」で済むもん。