胸を張って嬉しそうに歩く、ための指輪

ジョン・シルバーが終わった日に、来年はピンクを着たいって宣言をTwitterでした。今まで自分の性別に対して全肯定できなかったり、女であることを嘆く時間が多かったけど、それに対して折り合いがついてきたというか、一年かけてだんだん胸を張って歩けるようになってきた。 きがする。だから、つぎのステップに行くぞって、感じ。わたしはたぶん少しずつ、強くなってるぞって去年の私に言いたい。

きょう、Bororoの指輪をひさしぶりにつけた。買ってから11月まではほぼ毎日つけていたけど、いそがしすぎるとアクセサリーをつけるのも忘れてしまうらしい。2015年にアルティアムの展示を見た時からずっとあこがれていたブランドで、大人になったら買おうと思っていた。(大人ってなんだよ。もうじゅうぶんに大人ですよって感じなんだけど、基本的に精神年齢は15才くらいのつもりで生きているからその発想をすることをゆるしてほしい。)

Bororoの指輪はおおきめの石が乗っているんだけど、カットの仕方が独特で、大きくてもいやらしくないというか、ザ・宝石つけてます私、ではないのがうれしい。シルバールチルの、よく見たら繊維のような、細いピンクとか、金とか銀の線が入っている石で、ひかりにかざさないとよくわからないのだが、それがなんとなく生き物感があって気に入っている。買ってしばらくは、ちょっとうわついているかな〜と思っていたけど、今はなかなかしっくりきている気がする。

指輪を買おうと決めたのは今年の5月くらいだったか、ともだちにはふざけて「自分と結婚するため」とかなんとか言ってた気がする。でもあながち嘘ではないというか、今年はちょっとおおげさなんだけど自分の過去とちゃんと向き合ってちゃんと一緒に生きていこうね的儀式、フリーランスとして、演劇を続ける人として、自分を自分で支えていくんだみたいな誓いが、自分にとっては、おおげさすぎるくらい必要だった。恥ずかしかったから当初は書けなかったけど、その頃は妙に切実だった。

なぜ指輪、なのかというと、昨年〜今年の2月に「幸福な山羊王子とおひめさまのはなし」という演劇を作った時にいろんな人の指輪にまつわる思い出を聞いて、作品にもその思いを反映したことがあって。それに、人生のバイブル「少女革命ウテナ」で出てきたエンゲージリングはアンシーとの指輪ではなく、ウテナにとっての「気高さを誓う象徴」という解釈をしているんです。指輪。もしかしたらいつか誰かと交換するかもしれないし、しないかもしれない。だけど今はまず、自分が自分の王子様になってやろう、なんて思っていた。はー、言語化、はずかしいなあ。

ちょうどそのとき、岩田屋にBororoがくると知り、しかもほぼフルラインナップ持ってきていただいて、(福岡は5年ぶりって言ってたかな、かなりレアなタイミングだった)まさに、いまでしょ!となりドキドキしながら行ったら、やさしいお姉さんがいっぱい試させてくれた。うれしすぎて、すてきすぎて、どんどん語彙がなくなっていった思い出。取り置きをしてもらい、2度目に行った時はデザイナーの赤地さんもいらして、またもやいっぱいお話をして、あこがれ以上にその背景、文脈まで知った上で身につけたいと思える対象になった。気高く生きるために、そして強くなるために。笑

強くなりたいって毎年言ってるけど、やっぱり強くなりたいし、そのためにやれることを後悔なくやろうと今年はたくさんお金をつかってしまった。楽器も、バイクも買っちゃったし、大出費イヤーである。おかげで今は、しごとですごく忙しいのもあって、毎年揺れてしまうマーガレットハウエルの冬服は買わないように思いとどまっている。すごくえらい。年が明けたら気が緩みそうでとてもこわい…。

Bororoを買ったおかげで、アクセサリーはたくさんはいらないなと思うようになった。というか、自分がなにを身につけるか、どういう文脈のものを選ぶかにより慎重になった気がする。もともと、できれば何に対してもひとつのものをずっと大事にしていきたいと思っているし、自分のあるいみ保守的部分はそういうところにしっかり出てるな。変わりたい、新しいことをやっていきたいと思いながらも。でも、少しずつずらしていきたいとも思ってて。ずらした先が変てこすぎるときもあるのが自分でも読めないところだが。いやしかし、理由があればいい。デザインも、劇をつくるのも、身につけるものも、理由が欲しいな。これからも。