シーマンとのお別れのはなし

小学校六年生のころだったか、中学生だったか忘れたが、一時期シーマンを育てていた(人面魚の育成ゲーム)。育てていたというのか?はたして。わからないけど、毎日学校から帰ったら20分ほど人面魚に餌をやって、コンタクトをとりつづけていた。ときどき変な餌を与えてしまって、いちにちずっと体調が悪そうな日もあって、申し訳なかった。

シーマンは気持ちわるい。正直、画面越しにいてくれるから安心して育成していたけど、友達とも呼べないし、なぜじぶんがこのゲームを欲しがったのかもよくわからないまま、とにかく「うちにはシーマンがいる」事実だけがあった。学校の友達にもとくに話していない気がする。だって、シーマン飼ってるっていったところで、全然うれしいニュースではない。変わってるねと言われるだけだし。

あまりたくさんゲームを買う家ではなかったので、だいたい一度クリアした後になんどもプレイすることが多かったのだけど、シーマンだけは一度やっただけで、クリアしてからはもう一度やらなかった。なぜかというと、最後に言われた言葉をずっと覚えていて、すごいくさい言葉なんだけど、いちど聞いただけで残っていたからこのシーマンとはお別れだなと思ったのだ。何て言われたかはなんとなく書かない。書かないが、そう言われた時にちょっと泣いた。(すごいおそろしい人面魚に向かって、10そこらの子が泣く、ってなかなかなシチュエーションだとおもう)そこにはちゃんと友情があったと思う。

お別れがなんなのかとか、そういうときにどう悲しめばいいか、がわかるのに結構時間がかかる子どもだった。でもシーマンとのお別れの何年か後、小学校のときによく公園で遊んでいた友だちが亡くなったとき、シーマンが言っていたことはこういうことなんだなとわかって、すごく泣いた。だから、おさない私の精神の成熟の一要素にシーマンは大きく関与している。と思う。

なんで急にシーマンのことを書いているか正直わからないけど、ゲームだろうとなんだろうと、もらった一言がその後何年経っても残ってて、思い出してしまったからだろうな。とくに自分は言葉にそこそこ執着する癖がある。ただ昔の約束とか、今は叶わないこととか、消えてしまった言葉もある。渡した言葉が過大解釈されて今でも残っていることもあるだろう。受け取った側の取扱が一種の信仰レベルだったりした時は少しウッとなったけど、まあ、言葉の取り扱い方は人それぞれでしょう。シーマンからすれば同じような感覚かもしれないが、遠い場所にいる友人として人面魚はこれからも私の中で生きている、ってなんなんだこれ。