わたしの魔女ものがたり

思えば思うほど「藪に坐る人」という作品に対する執着が止まらない。私の周りにいる役者さんは「またかよ」と言い出すぐらいの話題なのだが、四度目の公演に対して、もうずっとずーーっと、思い出すたびにこう言っている。書きたかったことを書いたつもりが実際は半分も書けておらず、上演時にも思っていたが今思い返すとより技術的に悔しかった作品の一つで、それでもやさしいお客さんには、役者さんとセットの力もあって届けられるものがあったようだが、それにしたって悔しいもんは悔しい。いいぞもっと悔しがれ、という気持ちと。

「半分も」というのは、ずっと考えているから分母が増えていってるとは思う。つまりいずれ半分、ではなく「かけら」になるのかもしれない。そもそも、つくりの問題もあるが、この物語のベースそのものが、魔女というモチーフが、もしかすると生涯かけて書いていくひつようの有るものなのだろう。あの作品を上演したのは3年前になるのだが(時間……)、あれがあったから課題を投げられたんだとポジティブに解釈してる気もする。そもそもだ、3年後の今、こんなに当たり前に演劇のことを考えられることが許されていて(そもそも誰も禁止していないが、許されていると感じる)、思えばえらいこっちゃなんだけど。ありがたい。演劇ができないせいで、なんだけど。かなしみとくやしさとよろこびを行ったり来たりしている。魔女とは関係ない戯曲一本書いたばっかりなのに、いそがしい精神だな。

別役実も「魔女ものがたり」と称して、いくつか魔女ものを書いている。そして、かならず魔女役は奥様が演じている。戯曲買ったので早く読みたいんだけど…なかなか時間が……。きっと想像より5度ぐらいは違うと思うんだけど、別役さんも魔女を何度か書いたわけで、とにかく私も、私の魔女ものがたりを完成させないとなあ、というメモです。この記事は。