バイバイサンキュー

戯曲を書いていると本当によく過去のことを思い出す。

高校最後の吹奏楽コンクールの前日の夜はiPodでBUMP OF CHICKENの「バイバイサンキュー」という曲を聴いていた。それは秋葉原通り魔事件の起きた年で、そのすぐ後にpresent from youが出た年で、「プレゼント」という強烈な曲、「Ever lasting lie」という強烈な曲のアコースティックバージョン、「銀河鉄道」という強烈な曲、「ラフ・メイカー」「東京賛歌」というどうしても人を信じたくなってしまう曲がありながらも、その日は「バイバイサンキュー」を聴いていた。しかしものすごいアルバムだな。カップリング集なのに……。

もちろん県大会に行きたかったけど、その希望を強く持ちながらも、それ以上にこの日でもう終わるとわかっていた。前日の合奏で。中学高校はあらゆることが負け戦の時代だったが、そういったことも含めて、強い挫折と折り合いをつけるための時間でもあった。

バイバイサンキューは「ひとりぼっちはこわくない」という歌詞の反復が印象的な曲で、自分の寂しさと強めにリンクしていたと思う。ひとりぼっちになるということは、吹奏楽部員にとっては「合奏ができなくなる」という絶望的な状況で、こわかったんだろうな。二年生の時、上の世代に目をつけられたときは合奏に出なくても楽器が吹ければいいと思うほど、集団に対してネガティブな感情を抱いていたが、すこしずつほどけていき、すてきな後輩にも出会い、最後の方は大切に大切に日々を過ごしていた。弱小、な、いち吹奏楽部員でもこれだけ大きな気持ちの転換が起きるのだ。今年の部活動生は、つらかろうなと思う。

この歌はとてもその日の自分にリンクして、ものすごくよく覚えている。「昨日の夜できた唄を持って夢に見た街まで行くよ」は、私にとって「昨日の夜までかけて作った演奏を持って、コンクールの舞台に行く」という意味だった。それがどんな出来でもね。

高校二年生の冬ごろからすでに、「卒業すること」に対する苦しさがあった私は、毎日をものすごく美しいもののように取り扱っていて、ちょっと飛んでいた。高校生活はとくべつきらきらしていたわけじゃないけど、もうすでに懐かしいものとして校舎を見ていたし、お別れする予定が決まっているものとどうやってきっちりとお別れするか、が課題だった。

曲の後半に「僕の場所はここなんだ おじいさんになったって僕の場所は変わらない」という歌詞がある。あのころは、単純な故郷との別れの歌のように思っていたけど、時が経った今ふりかえってみると「みんなはここで見守っていて」の「みんな」は思い出の中の(自分を含めた)みんな、なんだよなあ。自分が居た場所のことを忘れないことのほうが、「ひとりぼっちはこわくない」ような気がする。今でこそ、ひとりぼっち時間をもてあましているけれど、ひとりぼっちはそれほどこわくない、よ。高校三年生のわたしよ。

そして、「バイバイサンキュー」は、もともと「弱虫賛歌」という曲名だったらしい。96年作曲。「16歳の藤原基央が、ベルギーに留学する先輩に作曲した音楽」、に、勇気付けられるコンクール前夜、17歳の私だったわけです。