生活はもぐらたたきじゃないよな

歯科矯正の紹介状をもらいながら勇気が出ずにお問い合わせができずにいるぼくですが、今日施術家兼ダンサーのおがも先生(ときどき身体をゴリゴリしてくれる)にそのうだうだを話したところ、「自分の見た目を気にすることができるのはとてもいいこと」と言ってもらい、確かになあ、その前まではそれ以外のことで悩んでたわけで、前向きすぎるお言葉に心がすこしほどけたのであった。

ちなみに同じ内容のうだうだを柳田先生にしたところ、「その悩みってとてもパーソナルなものだから、それゆえに、どの選択も間違っておらず、それを叩いてくる存在はもともとおかしいし、別に悪いことをしているわけではないのだから気にしなくていい」というお言葉をいただき、お姉さま方のアドバイにしみじみとしている。みんな、ラブ。

昨年はバイクを買ったり楽器を買ったり、精神的自立としての多少わかりやすいお金の使い方をしていたが、今年は皮膚科に行ったりその他諸々自分のメンテナンスをする必要を感じていて、今日の施術はとくにそれを意識していない流れでやってもらっていたのだが、結果身体を大事にするということで繋がっているのだなと気づいた。過去にもマッサージに行ったり、整体に行ったりしていたのだけど、それは「身体が本当に辛すぎる」ゆえに行っていて、今は、そうではなく「いずれ辛くなるかもしれないから」してもらっている感じ。健康も、生活も、経済も、本来はもぐらたたきのように「問題が起こってから叩く」ものではないのだ。

体質的に予測できることは事前に予防線を張っておければ、ある程度のトラブルであればそこまで不機嫌にならずに対応できる。例えばお昼のうちに鶏胸肉を調理しておけば、夕飯で火の通ったしっとりとおいしい鶏ハムが食べられる。冷蔵庫に一通りの生で食べられる野菜とアボカドや卵があれば、まったく食欲のわかない日でもそれなりにぱくぱく食べられる。日々野菜を中心に食べておけば、あまり不調にもなりにくいし、生理痛の辛い日もお湯を沸かして飲めば少しは癒しになるし、だるい日はだるい日用のプレイリスト(たとえばジョジョの奇妙な冒険の音楽だけが入ったアツアツのアニソンプレイリスト)などがあれば、少しは回避できるものだ。(ちなみに今日はそれで家事を済ませた。)もちろん全部うまくいくわけではないが。

予測に対して行動する、というのは、投資の感覚に似ていて、やっぱり野良フリーランスとして生きていた年数が長いとそういう気持ち的な農業が好きというのはあると思う。ただ、やりたいのはいつも工事(ハイレバでどかーん)じゃなくて家庭菜園(ゆるゆるな長期投資)だよねえ、と。もちろん工事を考える時もある。よくわからないですよね。この例え。ごめん。

そう考えると、この見た目に関する諸々も、まだまだ人の前に立つ可能性、を諦めていないから湧いてくることなのだと思う。劇作演出はもちろん、ナレーションもがんばりたいし、役者もしようと思うし、できることはなんでもやって経験値にしていきたい。んだよ。ねえ。人生は思ったよりも長いもんだから。