イワシを食べてクジラを産みたい

ネットワークビジネス業界の人たちとたまたま話すことがあって(有名どころではない/仕事とかはしてない)、なぜかビジネスを水槽に例える時間があったのだけど、ある方は「水槽のサンマ(やりたいこと)を育てるためにマグロ(大きなお金)が必要」と言ってて、サンマはカフェや保育園らしい。このたとえは面白いなと思うと同時に、私とは明らかに違うなともおもった。いや、そりゃあるならほしいけどもさ。大きいお金。

それで、君はどう?と聞かれて、私は「イワシを食べてクジラをうみたい」ととっさに返して「君面白いね!(意味わかんないね!)」と言われたんだけど、言った後に自分でも何を言ってるのかよくわからなくて、でも、多分イワシを食べてクジラをうみたい、そのまんまなんだろうな。

ネットワークの方たちの事を、瞬発的に悪いとおもっていた時代は過ぎ、まあこの人たちは「営業」としての生き方があるもんなと思うようになった。たとえば保険の営業も一種のゆるいネットワークビジネスだしなあと。でもやはり、価値観やめざすものはちがうし、むしろ彼らにとっては私が異常な存在であろうし、営業ってなんなんだろうねえ。

自分が営業していたこともあるから、売れる営業って当たり前とも思うし、売れる営業がえらいとも思えない。なんだっていつだって人間関係でしかなく、目の前の人とまっとうに対話するってことがいいなって私は思うが(「その対話の果てにその人に合わないものなら売らないほうがいい」と、新卒の最終面接で言われたあの穏やかなおじさまは今どこで生きているのだろうか。あなたを信じたかったけど現場はそうでもなかったぜいいいぇい)そうじゃない方がやっぱり生きやすく、ものも売れるんだろう。

もーさ「資本主義」という言葉の意味を破壊したくなる。いやちがう、日本が「資本至上主義」っつーことに。じゃあ社会主義なのか!共産主義なのか!まてまてそーじゃねーでしょ。というかこの簡単な一言で社会の仕組みまとめることこそむりだし、ダサいよね。ださださ。信仰のひとつでもあればよかったのか。知らん。つらい。最近の日本は全体主義っぴもあるよね。っぴって何。

日の丸のマスクを瞬発的に「右翼的だ」と批判する者もいれば、「私は買います!母国の国旗を誇れなくてどうするんですか」と言う者もいて、日の丸という記号がもつ背景、さまざまな、愛と憎しみの歴史、いいことわるいこと、それをまとめたものがあのマークであり、そんなことをツイッター上の140文字で語れるわけもなく、共感しあえるわけもなく、まあ私とあなたは考えてること違うし、誰も私じゃない。どんな意見があっても民主主義〜それが多様性を認めるということだもんな〜〜とあえてゆるふわにキャッチし、遠くから見ている。あー!!!そういう、遠くから見ていることのなんて多いことか。

怒ってる。Black Lives Matterに「そうだそうだ!」とスムーズに乗れる理由を持たない自分に、ミス・サイゴンの物語を、その背景に確実にあった民種差別問題を知らず「悲しいねえ」で終わらせていた高校生の自分に、何が語れるというのか。つらい。つらさの解像度は年々増していく。ちがう。理由がない、関係ないと思うなら想像するしかない。想像し、勉強し、今もそれで殺されたり辛い目に遭っている人のことを思え。

乳袋を露骨に描くアニメが子どもに届くことが問題視され、それを「表現の自由」で反発する声を見た。自分も同じパーツを持っていて同じように消費される可能性を持っていると知った時、友だちとアニメショップのゾーニングされていないR-18コーナーに行ってしまい、気分が悪くなってしまった友だちを連れて店を出た時、どちらも私は中学や高校生で、これから出会う怖い大人のことも知らなかった。そして今日、セクハラの編集長の動画を見て背中がしびれる。

みたいな、こと、すべてを、金と暴力でしか解決できない、なら、演劇なんてやらないで、テロでも殺人でも起こすし、どんな手を使ってでも嫌な企業は全部買収して体制を変えるだろう。マグロを何本でも釣って。

が、そんな勇気も力もない人間は、イワシを食べて生きるしかない。

けど、いつかクジラを生みだせたら、遠くにいるクジラに聞かせたい歌があるよ。