潜る人

最近、潜水士のひとと会って話すことがあった。だいたいいつも、80mくらい潜るらしい。職業柄、死という可能性がものすごく近く、まったく知らなかった世界で、価値観がひろがった。そのひとがたまたま私のフォーエバーラブアニメ・蒼穹のファフナーをみている人で、面白いよねえととても楽しくおはなしができたんだけど、帰ってから思った。蒼穹のファフナーで描かれている死と、潜水士として働いているひとの死は、たぶん、かなり、似ている。たとえば普段バディを組んで作業をするが、不発弾処理(戦時中に海中に落とされた不発弾を潜って回収したりする)の際には一人で作業をする。いつでも犠牲が出る可能性があり、その可能性をできるだけ少なくするために。危険はもちろん爆弾だけではない。魚が突進してくる、エイに刺される、そして、出血するとサメがやってくる。きけばきくほど恐ろしかった。

その人はとても趣味の多い方で、しかし確かに、じぶんにとって楽しいことは何でもしたい、と、なるだろうなと。来年ここにいるかわからないのに、節約したり、未来のために積み重ねる、といった発想にはなりにくい。では彼にとってのリスクは何なのかというと、そこまでは聞けなかった。なぜ命の危機という絶大なリスクを背負う仕事を選んだのだろう。海に関わる仕事がしたかったというけど、海の仕事は他にもある。それでもそれを選んだのは(あるいは選ばざるをえなかったのは)なぜなんだろう。潜るのは楽しい、と言っていたけど、だからといって。とか、いろいろ考えた。ともあれ、それくらいの世界で、平然と日々を、わりとたのしく生きている人と出会ってしまい、出会ってしまった瞬間に、突然死ぬかもランキングナンバーワンになってしっまった。節約なんてしなくてもいいので、できれば来年も再来年もこの世界にいてほしいと願う。

そういうはなしを、これまたファフナー好きな友達としていて(今年増やした。功績は絶大だ)、きっとながく生きるかもしれないぼくらは、未来のことをできるだけあきらめずに進めて行けたらいいなと、できるだけ世界をせばめてしまいたくないし、あきらめたくないよねと。今しかないからこそ、次につながる未来をつかんでいきたいし、あの映画じゃないけど心を燃やしていけたらいいよねえ。

Twitterをほとんど見なくなっていたことにより、ひさびさにTwitterを見ると自分の接している世界の狭さに気がついた。(これによって広がった世界ももちろんあるけど、えんげきに寄り過ぎているなあと思って、kindleとか、ほかの業界の人の本とかnoteとかに時間をさくことがおおくなっている。)あんまり呟いても意味のない近況として、今年は株を買って資産を増やしたりができるようになった。ときどき損もあるが、ここ二年くらいで自分にとってのリスクが何なのかちょっと分かるようになっているので、今のところは好調。リスクがなんなのか、というと、一番のリスクというのは、(前も書いているかもしれないが)一文なしになったときに自死を選ぶことでしょう。

あと、ふるさと納税もしたよ!とても堅実に、保存食になるものが届く予定。鯖缶とか。たのしみでたまらない。