すべては引き受けられない

メルカリはすごい。メルカリで生活費が賄えるくらいメルカリしている。昨日もふたつ発送して、身につけるものを手放したのでほどほどに居心地が良い。ただこればかりやっていると本当にメルカリの人になってしまうので、ゆるやかに処分を続けたい。

さいきん忙しい時にまたコンビニを使うようになり、コンビニがコンビニエンスであるということに正しく世話になりはじめているなと思う。ただしお弁当やサンドイッチは買わない。今までと少し使い方を変えているというか。お昼に使うことが多いのだが、そういう時は「食事」だと思わないようにしている。間食。その後どこかで必ず一回は食事をすることを目標にする。で、その間食は、だいたい牛乳、ちいさいクルミパン、あったらなにか生鮮食品などを買う。なんとなく、これまでと違うカテゴリの買い物をしている。なんていうか、スーパーだと品数、選択肢が多すぎて、頭がつかえないなんて時に良い。選べるものには限りがあるので、牛乳を飲んでクルミパンを食べて、ちょっと気が向いたら野菜を摂るくらいのお昼が良い気がしている。菓子類は買わない。頂き物意外はあんまり必要ないと思う。外食が続くと肌が荒れてこまってしまうけど、間食をシンプルにしておくとなんとなくよい気がする。

と、まあ買い物の仕方なんてどうでもいいんだけど、最近本当に選択肢を減らしていくべき時だなと思うことが多い。先日もでてきた、若者が「可能性の束を抱いて死ぬ」という言葉が刺さりすぎておりつらい(つらくはないけど)。今日も素敵な演劇人からおさそいを受けたけれど物理的に無理がありそうなスケジュールで困ってしまった。なんとかやりたいと思うけど、なんとか、が続くと地盤がぐらつくこともしっている。そこがなんとかいっても他がだめになってしまう。先月も、また先月も、スケジュールが無理で断ってしまって、こんなに断ってたらもうお誘い来なくなるんじゃなんて不安もある。が、無理なものは無理だし、人生で何を選ぶかは本当に厳選していかなきゃいけないんだね。むずかしい。仕事だけじゃなくて、読む本だって、着る服だって、人間関係だって。

またコンビニの話に戻っちゃうが、最近レジ袋が有料なので近所で買うとき「このまま持っていきます」と言って三つほど商品を手で持って帰ることが増えた。結構危険で、何回か落としたり落ちかけたりして、「ああこれが手一杯、だ」と思った。超物理。そのイメージが、想像できそうなものではあるが、生きているとうまくいかないことが多くて、いまだに来た仕事全て引き受けちゃうくらいのマインドでいるのだけど、さすがに本当にそのままでは難しくなってしまうかもなと思う。すべては引き受けられないんだよ。

なんというかもはや、お金だけの問題ではなくなっていて、なにをやって生きていきたいかみたいな基準が人それぞれある。シャッチョと話してると、彼はとにかく非効率で頭の良くないことが嫌いで、私は創作に関してそこは完全に引き受けられるが制作物では無理、というところで利害は一致している。でも長い人生で考えるとそれはとても大きな違いで、演劇を選ぶってやっぱとても「金銭的損」と「精神的豊かさ」の天秤って感じがある。精神的豊かさって例えがあってるかはちょっと自信がない。やっぱり意地だし。で、続いて、じゃあそれで、演劇と一口に言ってもなにをやっていきたいか、である。

家にこもって創作をするんだ、と昨年は納得していたが、その納得のわりにはなんか、外にずっといないか?という問題についてである。まあ演出って演出だから当たり前にそうなるんだけど、でもその、私は自分のことをいまだに演出家と名乗っていいのか問題とかがあり、どちらかというと作家>演出家 でいたいと思っている割にはとても表でばたついていて本を書けていない。今年のスケジュールにたいしてまだ納得がいっていないし、本当にどうなってしまうんだろうな。別に猛烈に忙しいというわけでもないが、この使い方で本当にあっているかは(まあ時が過ぎねば答えも出ないが)定かではないな。

そして去年までやっていた強めの夜更かしの頻度がここ数ヶ月激減というか、数えるほどしかやっていないことへの罪悪感か。作っていてあらもう5時だわみたいな経験が少しずつ減っていて、もちろん体のためには減るべきだとも思うけど、うーんどうなのだろう。もっと体力があれば。限りがあり過ぎてつらい。

考え方も持ち物もやはりシンプルにしていかなきゃいけないんだと思う。いろいろと。のぞみを叶えるためには。