服を売って本を買う

「繕い裁つ人」の映画の中で出てきた「あなたの着てる服、飽きたらすぐに売るのでしょう」というニュアンスのセリフ(正しくないです)が自分の中に刺さっていて、どうも服を身軽に売ってはいけないと思っていた。だけど、すこし真面目にやりすぎているところがあるとも思いはじめた。そもそもほとんどファストファッションを買わなくなっている今、服を買うときは少しだけ覚悟する値段のものにしている。ここ数日はその前に買っていた、迷いの含まれた服を売却している。服は本当にむずかしい。「飽きる」といわれると胸が痛むが、自分のモードが変わってしまったら、受け入れられなくなってしまう。服装は一種の主張だと思っているから。そして主張は変わる時もあるから。ただ、本当に覚悟して長く着るぞと思って買った服は今も手元に残っていて、ひとまず手に入れておこうというモードで買ったものは手放す確率が高い、ような気がする。

もちろんファストファッションが絶対ダメとか高い服がいいかというと実際そういうわけでもない。贅沢ルマンドを見つけたので買ってみて食べたけど、ふつうのルマンドの方が軽くて良い、みたいなこともある。より質のよいものがしっくりくるというわけでもないし、ユニクロでも「ファスト」と呼べない年数着ている超愛用のブロックテックパーカーがあって、手放せない服の上位にいると思う。ただ、ブロックテックパーカーはその当時の脆弱フリーランスの私にとっては、とても覚悟して買うような値段のものだったことは確かだ。

話は戻して、服をメルカリで売っているのだけど、いまのところ四着、私にとってはなかなかしっかりとしたお値段で売れた。今まで捨ててしまってたものもある中で、自分の持ち物がまだ誰かの役に立つ可能性、きちんと誰かに渡せる価値があるというのはありがたい。服とモノあわせて今月で七つ売れた。結果、メルペイと化した電子マネーで本を買ったり、食事代にあてており、なんとなく居心地がいい。手放した対価で買うので、消費が許されていくようなちょっと不思議な気持ち。すぐに罪悪感を抱いてしまうのも考えものだけど。

そして、次は何を着るべきかということを考えつつ、でもしばらく無理して買う必要もないなと思いつつ、ゆうゆうメルカリ便のスキルが身についたのでよしとする。mameの服、murral、ギャルソン、とかに目がいきつつ、mhlとyaecaばかりでもいいような気もしている。去年これだ!と思ったブランドがあったが、今年のコレクションはピンとこなかったりもした。むずい。ただ、手を出さなければ「ピンとこない」にも繋がらない。むずい。ともあれ今はものを減らそうとしている。

手放す基準としては「これを失くしてしまったとして、悲しむ可能性がどれほどか」なのだけど、極論、意外とどれでも気をとりなおすような気がする。そこまで行っちゃうと極端なのだが、でも、若干違う。ちょっと困るものもいくつかある、みたいな。今日着てるこの服、誰かがお金を払ってでも欲しいと言われて譲れるか。市場のテーブルに乗せられるか。

前の季節でどれほど着たかというのも一つの基準になる。着ないものでも大切にとっておくべき服はあるだろう。でもそれって本当の本当にプライスレスな服で、例えば今セリーヌのセットアップ(とてもお高い)を持っていたとして、もし、私が仕事でいっさい着るタイミングがないなら売った方がいい(持ってないけど)。逆に着るだろうなと思ってるんだから買ってもいいんじゃないかという邪心が芽生えつつあるが、それはちょっと、あんまりに現実ではないので、気のせいです。

そういう基準で、ものが半分くらいになってくれればいい。本棚もまた整理していきたい。もう眺めないだろうデザイン書がけっこうあるので、資料を入れ替えたい。大判の本は場所をとるからスペースがないと買えなくて。などなど。頭をここで整理させていただきました。