スープによる自己満足

食事をおざなりにしていたからか、昨日はかなり体調がよくなく、頭もぼーっとしていてよくなかった。いつもより野菜をたくさんたべて、夜はひさしぶりにスープを作った。玉ねぎをしっかり炒めて、こちらも炒めたアスパラとベーコンとブロッコリーをつっこむ。たまねぎに味を任せ、塩少しだけで味をつける。スープは、作ることそのものが癒しのようなところがあり、安心する。それに、食べたら美味しい、外食やコンビニご飯に比べて健康的でもあり、塩気多めの食生活を送る日頃の罪が薄れるような気がする。結局食事を軽く作れることが自分にとって一番の生活の幸いなのかもしれない。というか外食で同じような野菜の量のものを食べようとすると、とても高くてやっていられない。

お金を出して自分の満足いく食事が得られる店は、近所の推しの店(ここは本当に気軽に行ける唯一無二)か、あるいはロイヤルホストのサラダとか、基本サラダプレート的な葉っぱをもりもり食べる系になってしまう。で、サラダプレートってほんと、サラダなのに容易に1,000円を超える。いやだからこれ全部家で作れるんだよ〜と思いながら健康を買う。刺激の強いものを食べて体調を崩しても仕方ないし、そういう意味ではコロナ禍、唐揚げがっつりな飲み会がないことは結構助かっている(とか言いながら行けば美味しく食べるのだが)。話を戻す。健康を守るために注文するサラダプレート、あるいはBillsのモーニングのようなサラダと卵とベーコンを盛ったものは確かに健康的で美味しい、のだが、それを作る1時間と気力と行動力があればといつも思ってしまうし、どうせ同じお金を使うならとんかつがたべたいと思う(が、そのわりに、とんかつは月に一度も食べていない)。

先日、同じようなことを友人の堀川女史にぼやきながら「もうスープとかでいいんだよね、枝豆と玉ねぎをガッと適当にいれて攪拌したやつとか、ポタージュも簡単に作れるんだからさー」と言いながら入った店でスープランチを頼んだら枝豆と玉ねぎを攪拌したやつがマジで出てきてマジでビビる。私は時々そういうところがある。

スープやサラダによって健康と味と心の安寧を自分で作れてしまうというのはある意味才能なのかもしれない。時間と心さえあればちょっといいご飯をつくれる。ザ、定食とか、ザ、がっつり飯みたいなものや、名前のついた料理は作れないけど、スープがつくれるのでやっぱりもうそれでいいのではないかと思ってしまう。スープ作りは自己満足レベルの高い遊びだね。