戯曲を研修すること

日本演出者協会九州ブロックで、昨年までの三年、日本の戯曲研修セミナーという事業の実行委員会になっている。今年度は開催をお休みして、先日来年度以降に向けた勉強会に参加した。昨年は別役実の演出をするにあたり、おそらく十五本くらい別役戯曲を読んで、でもそのことについてあまり振り返らなかったなと思って、気づいたことちょっと頭の整理として書いておこうかなと思う。

自分にとって戯曲を読むってどういうことか、作家にフォーカスしていくことってどういうことかを考えていたけど、それは作家を知ることと、作家の文体を知ること、何をモチベーションにして書いているか、何が書きたいのか知りたい、みたいな意欲に繋がってるなと思う。

私は一人のアーティストや、ひとつのバンドを何年も好きということが多くて、一度好きになったものにたいして、なぜそれを好きなのか知りたい、どこが好きなのか知りたいみたいな気持ちがある。そういう、音楽であれば一曲一曲聴きながら考えるものが戯曲にそのままあてはめられるなあと。

先日木下順二の勉強会に参加したとき、あまり時間がなかったのと、コロナで図書館が閉まっていたので、いそぎインターネットをサーフィンして調べたことをまとめていったのだが、その調べ・まとめ、ようとおもったことの関心がぐっと強かったのはのは、「何を考えて作ってるか」とか、ルーツに近いことだった。東京出身だが熊本にいた時期があること、キリスト教の洗礼を受けていたこと、日本の戦争責任ついて、その罪について書きたいという意識が強かったことなど、それを知った上で戯曲を読んでどんな気づきが生まれるか、作家をもっと知って、コミュニケーションしたいみたいな気持ち。木下順二作品を全くほとんど読めていないので、好き、とは言い切れないけど、課題があるとそれ対してグッと調べたりみんなでシェアすることはとても楽しい。楽しかった。

去年は別役実を演出するというハードルや、コロナ禍での開催に対する重苦しさとか、つらい気持ちがどんどん膨らむ時間が長く、状況にとても傷ついてしまっていたけど、研修はたのしいことだったなと思い出した。新しい扉が開いていく喜びとか、面白く演出するには、みたいな意欲の前に、単純に戯曲を読めること、作家に触れられること、知っている、が増えることはうれしいことだよね。