10年後も笑ってお茶を飲もう

自分の周りにいるひとたちが、とても大人になっていく感覚というか、それはおい何様だよと思われても仕方がないのだが、学生の頃から小さな変化を積み重ねて今あのころとは全く違う選択をしている感覚に出会うことが最近増えている。あの頃のあの人、という認識でいたら、その人はずっと成長していて、こちらが不安に思っていたことが全て払拭されていた、ということがありうる。時が経つのは悪いことばかりではない。別々のところでそれぞれ悩んで動いていたことが、久しぶりに出会って話すと成果発表会のようにぐっと魅力的になっているというか。不思議な感覚なんだけど、そういう変わっていく部分はすてきだとおもう。変わらない部分は確かに安心するけれど、その誰かにとっての安心のために時間を止める必要はないなと。近くにいても例えば劇団員の意見をきいていて、言葉が変わっていく感じがわかるときなんだかとても嬉しく思う。私も、変わっているところと変わらないところとあるのだろう、多分。

仕事のあまりのハードさにこの数日つかれはてていたのだが、ただ同時に家にはとても短時間ではあるが訪問者が相次ぎ、みんなカフェラテを飲んで帰って行くというふしぎなイベントが続いている。会えない人とは2時間電話したり、家に一瞬会いに行ったりして、長く続く同期の友人5人ほどと連続して会った。SNSでは地元の友達とリプライをひとつずつ送りあったり、なんと仕事をふってもらったりしていて、自分から何か努力をしているわけではないのに意外と切れないものなんだなと感心している。

10年後も一緒にお茶を飲もうという約束をした友人と電話をしていたら、「あれ、もう10年経っているな」とお互いにびっくりするみたいな事態がおこった。あのときはきっとお互い10年後連絡を取り合うと思っていなかったのかもしれないが、何せ私は少女革命ウテナのオタクゆえ、そういう約束に弱いのでそりゃ続くよとも思っていた。相変わらず自分のお節介さを反省するシーンは多々あるし真実がそれぞれ違うという事実もある。そうやってときどき失敗してしまうなかでも、10年とかそれ以上続く大事なひとたちを大事にして行けたらいいなと思う。永遠なんていうものは幻想だが、永遠をのぞみあうこと、コミュニケーションをしつづけることは、ほとんど同じ意味を持つのではないかと思う。アンシーはウテナを見つけられただろうか、見つけて一緒にお茶を飲めていたらいいな。