ワンピースブームと「好き」について

タイトルの通りなのだけど、年が明けてワンピースをとても着たい気持ちがどんどん強くなっており、今までは「ハンガーラックにたくさんかからないし服は増やしても仕方がない」などの理由でいいなと思っても買わないを選び続けていたワンピースを、いつのまにか探しているというシーンが増えた。ふしぎだ。しかも、形が好みだとうわ〜〜いいな〜〜となってしまう。元気が出る。ふしぎだし、危険だ。どうして急に物欲が盛り上がっているのだろうという話を稽古場でしたら、福田さんに自分が何を好きなのかが明確になったからではないかと言われた。確かになんとなく好き、が、より明瞭になって、はっきりと「これが好き」がわかるようになってきたのかもしれない。

かつて、好みだけじゃなくて、あらゆる物事に対する感覚が、偏らないように偏らないように、と思っていた頃があって、だいたい19とか20くらい。自分が何を好きかを他人にさとられたくない、という思い。そういいながらも、確かに強烈に好き、なものは点としてあって、それだけはゆずらない、でもあとはなんでもいいや、という感じ。あと、浅い人間だと思われたくなかったから、どっちの意見も聞けるし、「あれが好きな人」って悟られたくなかった。

たとえば「東京事変が好き」なんて二十歳くらいで知られてしまったら、知りもしない人から「あ〜〜〜、いるいる、本能〜」という謎の迫害を受けるのも嫌だったし、自分も「EXILEが好き」って人をみつけたら「あ〜〜〜」って言っちゃう可能性があったから。それはよくあることで、とくに悪いことではないのだけど、傷つきたくなかったんだろうなあ。

それが、だんだん変わってきて、というか、演劇を作りたいと思ってしまった瞬間から自分が好きなのはこれだと言えるようになる必要が出てきたし、「演劇をしている人、脚本書いたりデザインしているフリーランス」っていうのはすでに社会的に意味不明と思われがちで、自分がオリジナルである(これはクローンでない限り全人類そうなんだけど)という感覚を持つシーンがあったり、生きるために「何を選ぶべきか」を考えるようになったからなのかななんて、

さいきんは誰にでも、初めての人にも「これが好きです」「これは嫌いです」をはっきり言えるようになってきた。あと、昨日のまわしよみ新聞でも「これを自分は不快に思いました」と、男性向けサプリメントの広告の切り抜きを共有したりできるようになっていた。言いたいことを言って、それが何故なのかを前よりは話せるようになってきたし、他者の意見に対しても、自分なりの返答がやっとできるようになってきた。自分が何者かをやっとわかってきて、やっと他者とコミュニケーションがとれるようになってきた、とも言うのかもしれない。なんて。

そう、だから、25歳をすぎたころからすごく好みの服が見つけられるようになったんじゃないかなあ。好みの作品、自分が「良質」だと思うもの、も、ある程度は見つけられるようになってきた。これはとても嬉しいことだなあと思う。