真夜中のしらたまづくり

白玉粉をこねて茹でてしらたまを作る遊びをした。浅野忠信が靴を履いたまま側に立っているなんてことはなかったけど。これを短歌にしたらなんだろう、「真夜中にしらたま茹でているけれどおばけは出ない 死んでないから」かな。唐突に短歌。そして…

唐突に私信。

自分の存在があったはずなのに、自分だけの存在が消されて上書き保存される、みたいなことは生きていて何度かあるのだけど、まさにそれをされていてなんとも言えない気持ちになっている。攻撃性やもやもやはべつのやりかたで消化、昇華した方が良いと思うんだけど、まだそれに気が付いていないんだなと思うと少し悲しい。というか、保身のためにそこだけ消せる心意気はあっぱれというか、信用できないというか、なんのために生きてるんだ。うしろばかりみていないで早く自分のやり方で世界を救って欲しい。

鬱がまわった当事者は自分が全面的に被害者だと思ってしまいがちで、いやもちろんその反動で超セルフネグレクトしちまうこともあるんだけど、その嵐は十代の時にめちゃめちゃに味わって、さらに私自身も十代の終わりから二十代半ばまでこれに若干当てはまって、そこから逃げてきた身なので、もうまきこまれたくないし、正直の中で生きていたいんだよう。

自分以外はすべて他人だし、自分をたすけるのはやっぱり自分だと思うので、私がとやかくいう立場ではないんだけど。自分自身をいくら助けても良し、使いたければかってに消費してれば良いし、うらんだりしてもいいと思うけど、私の見えるところで私をつかって私を殺したり存在を消して、なにかうれしかったり気が紛れたりするんだろうか。それは逆にしんどくないでしょうか。嘘をネットに載せることと、真実をネットに載せること、同じくらいしんどいとおもうのだけど、この意味がわかるならもう嫌な過去を振り返るのはやめたほうがいいし、っていうか勝手に殺すなよ。私のお墓の前で泣かないでください。

言ってることがもう、ちぐはぐだよ。後悔しないと言ってたのを忘れて後悔しているし、味方だとか言いながら私すでに殺されてるし、急に死ぬぞとか脅迫してはるし、感謝とか言いながらバチバチにうらんでるじゃないか。

いや、もう、そんなつまらないことで、死んでほしくないけど、もはや、それで死ぬなら背負うよ。私のせいで死んだってきっと思い続けるだろーし、世界中どこにでも誰にでもあやまりに行くよ。私が悪かったって。それでうれしいなら、そうするよ。