つづける

じぶんは演劇をやっている人間だったなあと思える11月が終わり、12月も半分が終わろうとしている。日本の戯曲研修セミナーの実行委員として、右も左もよくわからない状態からなんとか会期が終了し、ごめいわくとかご心配とかいろいろおかけしながらも、ほっとしているし、未知の戯曲と少しだけ仲良くなれたような気がして、また、それを一緒に読み込んだ人たちとも仲良くなれたような気がして、心はとても豊かな時間だった。こういうことをするために生きてるんだよなあ、私は、と思った。

仕事はもちろん必要だが、なんのために生きているのか本当に忘れがちだと思う。私はえんげきをやっている。えんげきをやって生きる。そうだよ。色々とキャリアのために手を出すことは悪くないが、それだけは忘れちゃだめだ、と。11月、ずっとくるしんできた悩みと、それを誤魔化すために動いていた心から、今はさわやかに抜けたような気分だ。戯曲の言葉と、演出者たちの言葉がよわよわの身体にはたらきかけて、何をやって生きるのか、だれと生きるのか、とてもだいじだなと思った。もっとつよくなりたいよ。

フリーランスの仲間と覚悟についてまえ話したとき、覚悟はどこかで一回するものではなく、あらゆる山場でやってきて、自分がやるのかやらないのか突きつけてくるよね、みたいなことでまとまったおぼえがある。前ここでも書いたかもしれない。ぎりぎりの納期を落とすのか、やっぱりがんばるのか。それと似た感じのやつ。

ちょっと書いててはずかしいけど、そういう選択の瞬間が会期前から、会期中の11日間に、なんどもあった。いろんな失敗とか、だめな部分を感じて折れる可能性、少ない睡眠時間。恐怖のあきらめ。でも今回は、それをさせない人間関係とか、まもりたい信頼があったからよかった。ミキティもいてくれたし。よかった。打ち上げでは見苦しいほどにえんえん泣いてしまい、1時間ほど顔から水を流しつづけ、ミキティもちょっと泣いてて、「がんばったね私たち」としてしまうとただの綺麗事だが、そうではなくて。そこで私は演劇をつづけるために泣いた、から、うまくいかなくても、とにかく、つづけるために、つづけようって。ひー。くさいね。アオハルかよ、だね。

ひさびさのブログ、相変わらずはずかしくてつまんなくてごめんなさい。