電気のない都市

普段から基本的に誰かと会う用がなければ家にいるほうが多いので、自粛という名前がついてもべつに大した変化はない。ちょうど重ための生理中でもあったので、家にいるに越したことはないと、ぐったりしたり、そうでもなかったりしながら作業をすすめている。ただ、創作するというマインドにはなかなかうつることができず、どうしたものかな。

バカダミアンが中止になってしまったことで、はじめての言葉にならないきもちが生まれた。登りたかった山がなくなるような気持ちと。いつかきっとまたという気持ちと。まけてはいけないと思いながらも、仕事周りの人に公演中止を理解されなかったくるしみなどが、やっぱりじぶんはごくごく少数派の人間であり、わたしが大事にしたいものはみんなの大事なものではないということがはっきりと事実として残り、わかり、まあ、やっぱ、つらい。

それなので、仕事に行く日もあるけど、会話をしていてもだいぶん精神的にもひきこもっている。そんなに暗い気持ちにはなっていないところが自分のいいところだなとは思う。先月季節の変わり目だからか強烈にニキビが出てしまって、いまは皮膚科でもらったニキビのくすりを顔中にぬりたくって暮らしているので、顔色は(生理中にもかかわらず)薬が効いて前よりいいほうだし、生活者としてはなかなかいい線を行ってるようなきぶんで、しかし、生活には創作が必要だったはずなのになあ。

桜は、満開になる前に少しだけ見た。夜。ほとんどだれもいない公園を少しだけ散歩したのが最後。あれはあれでいい思い出になっている。花見って概念のない世界は、やっぱり今までにないファンタジーで、東京事変の「電気のない都市」が、その日からしょっちゅう頭の中をまわっている。「ああ僕ら生きてるよ密かに そう声を押し殺した都市に隠れて」震災の年に書かれた曲が、今あらためて存在を大きくしていて、コロナの春のテーマソングのよう。静かでやさしい伊澤一葉(作曲)のピアノに激しい浮雲のエレキギターが混ざる。椎名林檎の詩もとても良い。こういう時期に自分に寄り添ってくれる歌があるのは、とてもさいわいことだと思う。

東京事変の話ばかりするが、「永遠の不在証明」のmvが出た日、すきなともだちが何人か「かっこいいね」と連絡をくれてうれしかった。みんな、やさしい。椎名林檎の「鳥と蛇と豚」mvともつながっていて、孔雀明王が三毒と戦ってくれそうな、いい映像だったね。