電動コーヒーミルの存在感

仕事が本当におわらない時空に来てしまったようだ。永遠に終わらない。フォーエバー終わらない。この感覚でいるから多分辛いのだと思うけど…なにか幸せな気持ちになれることがしたい。最近の楽しみは徒歩10分圏内のところにある推しの店で朝食や昼食を食べることになっている。前は、ケーキを食べれば救われるような気持ちになっていたが、先日ケーキデフレを味わってから(Twitter参照)いまどきはケーキを食べても報われる感じがない(うそです、しばらくすると忘れる)。いまどきは、ご飯でしょ。ご飯。健康的、かつ想像力豊かなご飯、食べたい。からあげ〜!とか焼肉〜〜!!とかじゃないやつ。贅沢者め。あと、人と楽しく食べること。

事務所で使うために買った電動ミルを家で使ってみたらあっという間に豆がひけた。時間をお金で買った気分、というのはこういうことなのか。便利ゆえ、もはや家で使うのをこっちにして、手動のミルを事務所に置こうか、とかで悩んでいる。でも、大きいんだよな〜、存在感あるもんな〜とか、そういうちっさなことで毎日悩んでいたい。悩んでいたいよ。自分で淹れるコーヒーは相変わらずおいしい。

先日はラブリーな記事を読んでくれたリスナーからお便りがあって(例えです)嬉しかった。ラブリーがあればそれなりに、ある程度のストレスには耐えられる。ラブリーを持つということはつまり、依存先を1000個とか、もっとかも、ともあれたくさん持っているようなかたちだ。依存先を分散するのはひじょうに心がたくましくなるライフハックだと思う。

ラブリーをラブリーだと思えなくなった時は一度、立ち止まり考えたほうがいい。そして、そういうときは大抵だれかに愚痴を漏らしてしまうモードになるからよくない。あるお店の人と話をしていて、「こないだお客さんがコーヒー一杯で4時間いたんですよ〜、それはいいんだけど、ふたりでずっと愚痴を言っていて、4時間ずっと聞かなくちゃいけなくて」と。

自分で自分を救済する力、あるいは、救済されるものを持っておくことは、ひつようだ。まあ、、もちろん会話が救済になるから話してるのだろうけど。というか、会話聞かれてるんだよなあ。行動はいつのまにか誰かにみられ、聞かれている。私もいつまでも子どものような気持ちではなく、大人としてもう少し背筋を伸ばしていないといけない。

先日豪雨の中、ある高校へ研修に行った。そこで生徒さんたちに会えると思っていたけど、警報が出てしまい生徒は全員帰ってしまったと言われすこし残念だった(仕方ないけどね)。縁あって今年から公立高校の部活動指導員になったのだが、コロナのためやっとそろそろスタートを切れそうな予感。ということなので、一応は大人として/公務員として(公務員らしい、そうか!いや、それ以前にも公金をもらう事業に携わっているわけで、その心構えはあったわけだから、すでにぼくは公務員だったのかもしれない)ちゃんとしてなきゃという気持ち。でも、今までだってこうやって子どもたちと創作していたよなあ。

アーティストとして、大人としてちゃんとするってどういうことか。連絡にはきちんとお返事をして、ダメなことにはノーと言えること、かな。とりあえずは。そうおもって、ダメなことはノーと言った朝だった。(ツイッターで不穏な書き込みをしてすみません…。)守らなければいけないもの、増えているのでね。