トワイエさんと大きな樹

先週は少し気が弱っていて、もはや余生は森の中でひっそり暮らしながらトーマス・マンの魔の山を一気に読みきるくらいの時間の使い方をしてゆくゆくは児童文学作家にでもなろうかなみたいな気持ちでいたし、「こそあどの森シリーズ」のトワイエさんという作家のことを、そして彼の言葉を思い出し、わたしは「この人」になろうと思って生きてきたんじゃないかとまで思えたし(大袈裟)、トワイエさんみたいな木の上の家に本気で憧れて住みたいとえんえん言っていたし、不安だったらアップルパイと一緒にあたたかな紅茶を飲みたいし、ウワア〜〜と頭がひっくり返り、いきおいあまって全集を注文した。バカみたいに小さい頃から大きな樹が好きな理由がわかり(だってそこに住みたいと思ってたんだ)、胸が苦しい。なぜ忘れていたのだろう。つらい。引きこもって早く読みたい。

とは言え、こそあどの森シリーズがすべてではない。アンパンマンの原作や、ハリーポッターや守人シリーズや十二国記やモモやその他もろもろ、わたしの価値観形成を手伝ってくれた文学に対してあつく感謝みたいな気持ちがある。そして、中学時代に出会った「蒼穹のファフナー」「ノエインもうひとりの君へ」高校時代に出会った「少女革命ウテナ」その他諸々。物語〜〜〜〜!!!ありがとう。

ここ二日三日いろんなひとと話していると、自分が話してるつもりで言ってないことってまだまだまだまだいっぱいあるんだなと思った。はじめて中学生の頃のことを話したりして、自分にとっての黒歴史的な部分を今はわらって「こういうことがあったんだ」と共有できるうれしさと、これだけ一緒にいても話さないこと、まだ話していないこと、たくさんあるのだなって。私はまだまだお話しできるし、お話ししないとわからないことばかりだ。とにかくいま、近くにいる人に対してむちゃくちゃ正直におしゃべりをすることぐらいしか自分にはできない。でも、なんか、守られているなと思う。年に何度か生きててよかったねと思うけど、昨日と今日はまた少しそんな気持ちになってるかな。話を聞いてくれてありがとう。みたいなこと。

そして、未来、考えている。ずっと。これからさき。アフターコロナだか、ウィズコロナだかしらないが、本当はウィズアウトコロナでいたいが、とにかく考えている。

福岡でなくてもいいのかもしれない。どこか遠くの、日本でなくても、暮らせる場所に行くのもいいかもしれない。でも、今わたしの周りにいる好きな人たちを大切にしたい気持ちと、自分で未来をつくらなきゃいけないんだという気持ちがせめぎあう。どの状況に行っても、たとえばそれが森で児童文学作家になるとしても、「書く」ことからは逃れられないし、どんな恐怖があってもやめないのだろうなとは(今の所)思う。発信は恐怖を伴うものだ。わたしの周りには色々な個人的な問題があり、そんなのだれだってあるよ、というレベルのものから、客観視してもおやおや大変だねというものもある。

先週とかその前の週に疲れていたのは、黒ひげ危機一発的な感じで、さまざまなベクトルから小型のナイフが無数に突き刺さってくる感じ(急所にはぎりぎり当たんない、みたいな)の実感があって、それらが全て、自分を黙らせる理由になりえるものだった。でも黙っていてはしかたないので、ビョーンと黒ひげ、もとい自分が飛び出さないと死んでしまうほどにならないうちは、たたかわなければならないんだなあ。ただちょっとナイフの数がおおかったので余裕なく、もう取り繕ったりできないし、正直にいるしかないし、過去を悔やんだり、恥じたり、今を嘆いたりしてもかわらないんだなと思う。ゆれながらわたしはじぶんで自分を救うし、いい未来を見つけてつくっていく。それしかないんだよ。ベストじゃなくてもベターを選べるようにがんばってるし、自分を裏切ることになるからちゃんと生きてくほかない。だから、悔いなんてないっていいつづけられるように。したいよ。