不確かなものの触り方

不確かなものに対して依存する系(あるいは妄想系)の作品の取り扱いについては、これからも取り扱っていきたい気持ちがまだまだあるゆえに、本当に幼稚にならないようにせねばならぬなと、急に言葉が出てきたので書いてみる。たとえば、幽霊。わたしはゴースト大好きだし、「その妄想があるからいきていける」という人が比較的多い幼少期を過ごしたので、フィクションをみる醍醐味のひとつだと考える。幽霊、信仰、妖怪、物語の中の人物、過去の人物、などなど、対話する相手はいくらでも無から生み出せるが、下手をすると本当にひとりよがりの会話になってしまうわけで、それはとても逆効果だなと思う。むかしの西原理恵子作品なんかは、この扱いが非常にうまく、本当はいない者を「完全に居る」ところから一気に落としてくれるので、そのコントラストというかジェットコースターというか、きちんと「揺さぶる」ことができるというか。存在と不在の境目なんてその程度のものだよ、と思わせてくれる力のある描写ができればいいなあ、という、ぼやき。