甲本ヒロトみたいな子

以前出会ったWS参加者の一人に、甲本ヒロトみたいな子どもがいた。発表会、劇の終わりに歌を歌う時、一人本当に大きい真っ直ぐな声で歌うものだから、大人もびっくりするほど元気をもらっていて、ボーカリストってこういう生き物なんだなと、きっと彼自身は自分の歌をそう思っていなかっただろうけど(9才くらいだし)彼には本当に才能、を感じた。

ただ、発表の本番では、お客さんを前にして大人しくなってしまい、あれ、あれれと、思う間に2番まで曲は過ぎ、大サビがくる前の長めの伴奏中、私はヒロトに耳打ちをした。「最後だし思いっきりいこうぜ」って。そしたら、大サビでヒロトがヒロトとして戻ってきた。30人近くいるメンバーの中で、大きな声を真っ直ぐに。お客さんたちは呆気、みたいな顔をして、でもとても喜んで歌を聴いてくれた。もちろん、一緒に歌うみんなも、空気が変わった。これが最後だ!みたいな気持ちで歌が終わった気がする。終演後にある仲良しの観覧者が「ヒロトがいましたね…びっくりしました…」と、声をかけてくれた。夏の思い出として強く残っているワンシーン、だなあと思う。

WSがない今年、それを急に思い出して、ああよかったなあと思う。そして、いつも子どもには驚かされてばかりで、自分がいいファシリテートができた覚えはほとんどないんだけど、自分の中で、下手なりにも良いアプローチだったかもしれないな、と勝手に思い出に残している。こういうのはとても危うく、うまくいくかいかないかわからない。信頼関係もだし、その時のお互いのコンディションによってすべて変わってしまうし、本番中に声かけができることの方が稀だ。貴重な演劇体験が、失敗で終わるのはとても辛いので、急な冒険は避けなくてはならないところもあるし。つまりいつもできるとは限らないので、ちいさい奇跡みたいな結果なんだけど、その子との関係はお互いに積み重ねてきたものだとも思う。

じつはその声かけをする前、とてもしんどいやりとりを子どもたちの前でしなければならなかった。自分たちの班の作品について「このままじゃ良くないと思う」という提示を、まさに本番の朝に伝えていた。暗いきもちで、どうしたい?となかば、誘導のような時間をえらばなければならなかった。今まで作ったものが、人に見せるものとして「他者を尊重できない」ものになりそうだったから。でも子どもが作ったものだ、私が干渉するのも限界があるし、大人の干渉が伝われば、また「道徳の教科書のような表現」と言われる可能性だってある。「このままじゃいけないとおもうんだけど、どう思う?」という投げかけは、子どもに本当に選ばせているのか、私のエゴではないか、みたいな時間だった。でも、そのまま進むのは「一夏の創作」の思い出として、私が手渡したいものではなく、ああこのまま終わるのは辛いな、という、とても暗い気持ちでいた。

最終的に子どもたちは「このままじゃいけない」方を選び、稽古をし、一度きりの本番を終えた。みんなケロっとしていて、楽しく演劇をしてくれたのでほっとした。けど、とても細い綱渡りみたいな数日間で、勝手に私はひやひやしたり、いらいらしていた。良くなかったなと思う。いまだに、ファシリテーターとしてどうあるべきか、どう声かけしたらよかったんだろうみたいな、後悔の方が多い年だった。だけども、その彼、ヒロトが、最後楽しかった!!と言って帰っていったことで、私は考え過ぎていたんだと救われた。もちろん、そのほかのメンバーも同様に。子どもの「楽しかった!」は、何にも代えがたい贈り物だなあ。

これからもそういう迷いがたくさんあるだろうし、悩み続けるのだと思う。でも演劇は一人でやるものではない。私も自分の意見を言えばいい。みんながその結果、何を選ぶかは強制しない。で、今までの稽古をみている私が、もっとできるよって思ったことを伝えて、ポテンシャルを発揮する、みたいなことが起これば良いんだよね。そしてやっぱり奇跡は先に稽古場で起こってるんだよね。みたいなことを、思い出した。

本当なら、今年は今頃同じ気持ちでヒヤヒヤしたりソワソワしたり、してたのだ。悔しいね。また来年、会えたらいいなあ。会えるかなあ。