蒼穹のファフナーについて

蒼穹のファフナーというアニメが好きだ。
竜宮島という島に住む子どもたちが、宇宙からやってきた敵・フェストゥムと戦うロボットアニメ、という伝え方をするととてもキャッチーなのだが、この作品は、簡単にロボットアニメ、とは言いにくい。「ロボットの熱さ、かっこよさ」よりも大事な、一貫したテーマがある。人が存在することに対する祝福。でもそれも一言で言い表せるものではなくて、そしてこれはどう掘ろうととても宗教じみた説明になってしまうので、未見の方にとっては「気持ち悪い」表現だろうなあと思いつつ。

子どもが戦うということが「どういうことなのか」が、考えられている作品だ、と言うと少しは伝わるかもしれない。ヒーローものの作品は、戦うことが比較的当たり前に、すんなりと「●●を守らねば」的な思考にいく。あるいは戦いがはじめから動機としてあり、あるいはエヴァンゲリオンのようにそれを「大人に義務付けられ、強烈に拒絶する」ところから始まる。

ファフナーはどうかというと「乗ることで、大人がそれを心から悲しむ」話だ。敵を倒しても、戦果があがって偉い、とか、もちろん島を守ってありがとう、というところはあるけど、それだけではなく、大人世代のみんなが心配する。
だって乗りつづけたら「いなくなる」から。

「いなくなる」とは、敵と戦って死ぬのではなく、敵か機体に同化されて緑色の結晶体となり、粉々になり、完全に消える。遺体も残らない。
ファフナーに乗ったパイロットは恐怖する。自分が乗る前の「ただの人間」ではなく、同化現象によって身体が変わっていくことに。

ファフナーに乗れるのは基本的に(2期より乗れる年齢がある原因により上がるが)子どもだけだ。司令官はパイロットとして選ばれた子どもの親に赤紙を渡しにいく。赤紙をもらった親は、とても苦しむ。我が子を特攻させるようなものだから。
そして、子どもがいつ「いなくなるか」の恐怖にさらされる。

竜宮島は「平和という文化を残すために作られた人工島」だ。
子どもたちはメモリージング教育(いざ戦時下となった時に動けるように、脳に仕掛けがしてある)を全員受けている。
そもそも、この島の子たちは人工受胎で生まれ、DNAを操作されている。この物語の中で日本は、敵からの攻撃により(受胎能力を奪われ)、自然に生殖する力を失った。黄色い卵のような形の人工子宮で育った赤ちゃんを、適切だと思われた大人が引き取り、育てている。

島の大人は全員元軍人であり、そして日本はすでに「敵に同化され消滅している」。
移動する島を作り、兵器を隠し、島自体もシールドで隠れながら、フェストゥムからも、まだ生き残っている人類からも隠れながら「かつてこの国にあった平和」を子どもたちに伝承し、そして時が来ると子どもを兵士として送り出す。
そうするしか生きていく術がなかったのだ。

たくさんの子どもたちが「卒業」後、旅立つ。
卒業後、会えなくなった先輩たちは、みな「東京」などへ行くのだと、後輩たちは思っている。彼らはどこへいくかというと、島に残る者はアルヴィスという島地下の機構で働くし、もしくは本当に島から「旅立つ」。
ファフナー部隊に志願し、島の外で「島の存在を察知したフェストゥム」と戦い、そしていなくなる。
大人たちは、子どもに知られない場所でそれを背負い、涙し、生き延びる術を探る。

島に住む子どもはフェストゥムなんて知らないし、東京に行けば有名人に会えると思っている。それが作られた平和だと知らずに、日々学校に通う。
学校帰りにはおばあちゃんがやっている駄菓子屋でお菓子を買い、島の大人が作った漫画を読み、夏祭りでは花火が上がり、りんご飴を食べて、灯籠流しをし、墓参りをする。海野球という陸と海を使った野球をして遊ぶ。

真壁一騎という主人公は、島に住むただの14歳の少年だった。
少しだけ海野球が得意(オリンピックで全種目金メダルを取れる運動神経を持つ)な。少年は外の世界に憧れる。島の外に変わらない平和があると信じ込んでいた彼は、ある日を境にそれが「作られていたもの」だと知る。
突然の環境の変化に混乱し、今まで自分たちを騙していた大人を信用できなくなり、また幼なじみで戦闘の指揮をする皆城総士という少年の「あまりに知り過ぎた」大人側につくような態度と、たとえ友人が「いなくなって」も、自分たちクラスメイトのことを「戦力」としてしか見ていない態度に絶望する。

皆城総士という少年は、幼い頃からほかの子どもとは別の教育を受けて育っていた。彼の妹・皆城乙姫(つばき)は母親の腹の中にいた時に敵に同化され、母親は「いなくなり」、乙姫は肉体を持った島のコア(神様、生贄)に変化した。その妹を守らなければならないのだと父・皆城公蔵に言われて育った。
他の子どもたちのようには生きられず、幼少期から孤独を味わい、そしてその苦しみと(また、自分もフェストゥムと近い存在であることから)幼い頃に真壁一騎を同化しようとする。それを拒絶した一騎に彼は左目を傷つけられ、ファフナーに乗れなくなった。あれほど、妹を守れと言われていたのに。

総士は戦闘指揮を行うシステムに乗り、パイロットたちとクロッシング(思考を共有)し、指示を送る。そのシステムは、思考を共有できるゆえに瞬時に指示を送れるが、戦闘中にパイロットたちが感じた痛みを、全て感じなければならないシステムで、彼は時折フラッシュバックに襲われながら、そしてその痛みを誰にも打ち明けずに「安全な場所で」指揮をする。

そんな総士の苦しみを一騎や、島の子どもたちが理解し、いなくなることの恐怖や、いなくなった人たちのことを決して忘れずに、みんなで生き、平和をつなぐために戦う話、と書くと、少しは話の筋がつたわるだろうか。

シリーズ構成に冲方丁さんが入っている(一期は初期文芸統括、途中から脚本に名前が変わります)ので、人物描写がとても丁寧で、「島」という場所で生きる人たち姿にいつのまにか目が離せなくなっていく。まるで「島民」の一員になったような感覚で、そんなに出てこない脇役の人の名前まで覚えてしまったりする。「あそこの●●さんはほら、●●君とこのお姉さんで」みたいな感覚で。

もうひとつのテーマである「和解」は一騎と総士だけのものではなく、人類とフェストゥムに広がっていく。フェストゥムは元々ケイ素、土から生まれた存在で、個体の識別のない存在だった。人間を同化することで少しずつ行動や感情を「学習」し、強くなっていく。死ぬ恐怖=生まれることへの恐怖から人間の生殖能力を奪い、戦いによって痛みや、憎しみを理解していく。やがて「どこにもいない虚無」だった彼らの中から、人間からの影響を受け続けることで「自分の感情」を感じる者が現れ、個体としての意思を持つフェストゥムが生まれていく。戦いは激化していき、人類もフェストゥムも生存をかけて進化を続ける。

シリーズが進むにつれて戦いは複雑化していき、島から出て世界を知ることになるのだが、それでも「戦闘」だけを描くのではない。
島に生きている人々の生活の営み、そして戦いで「いなくなった」人々を決して忘れない島の人たち姿が、現実以上の辛さとして迫ってくる。

「この島はいなくなった人のことを忘れないんだ」という言葉が、何回かセリフとしても出てくる。また、

総士「僕たちは常に、誰かが勝ち取った平和を譲ってもらっているんだ。たとえそれが一日限りの平和だったとしても、僕はその価値に感謝する」

スペシャル編RIGHT OF LEFTの最後に総士が言うセリフにも、この作品の大きなテーマが残されている。継承された命、文化、平和が、どんなに尊いかを身をもって感じることのできる作品だ。

だから、みんなみてね。