金髪にすることについて

自分でもすっかり当たり前になっているため、久しぶりに会う人にびっくりされることがある。金髪である、ということである。「友達は遠くからでも見分けがつくから便利」と言う。「仕事とか大丈夫なんですか」と言われることもある。大丈夫ですよ。

黒髪一筋十何年だった自分が金髪にした理由は「あめふりヶ丘夜想曲」という演劇の役作りが最初だったが、そのためにいちど茶髪にした(ブリーチをする前は一度カラーで明るくしておくと色が入りやすいらしい)時、あまりにも似合わず「垢抜けない地方女子大生」とまで言われる見た目で、本当に、茶色が似合わんのだなと確信した。いちおう、デザイナーとしてもご飯を食べている身ではあるため、色味の合う・合わないくらいはわかってるつもりだ。

公演が終わった後に黒染めしないのかと周りに言われたが、仕事的に問題がない今、自分がおそらく最も似合うのは白に近い金、あるいはおそらく白に近いミルクティー色(皆城総士君の髪のハイライトに近い部分)だと思っており、一旦そこを目指そうという結論を出し今にいたる。ビリーアイリッシュ的緑とかやってみたらいいじゃないみたいなことを言われることもあるが、あまり「色」だと認識しすぎる色を入れるほどストレートな性格をしていないので、とりあえず光る皆城君になれるようにがんばっている。そして予測は割と当たっており、明るくすればするほどしっくりきている。

金髪にすることで得られたことは、遠くからでも見つけてもらえるようになったっことだけではない。知らない他人が話しかけてくるさい、黒髪の時にされていた態度よりも、金髪にしている時の方が「人権がある」。カバンを当ててくる人はいなくなったし、道で声をかけられるにしてもどこかニュアンスが違う。軽く声をかけられる回数は増えたが、軽く返せる内容の挨拶で終わる。なんなんだろう金髪。生きるに楽すぎる。

そして私はとても黒い服が好きで、最近やっと色物を買うようにもなってきたが、それでも多くの服が山本耀司さまにあこがれているしコム・デ・ギャルソンにも憧れている(山本耀司さまの服は残念ながら持っていない)。黒髪で黒い服を着るのも最高なのだが、金髪で着る黒い服というのはまた、とてもたのしい。新しい服を買わずとも一旦満足できる不思議さ。

とはいえ本来なりたい人類のモデルはかしゆかであり椎名林檎であり平手友梨奈なので、やっぱり黒髪に戻す可能性もたびたびよぎる。

まあでも、いつまでもという訳には行かないと思うが、三十歳は金髪ですごす、というのは有りかもしれないと考えている。頭くらいめでたくあれ。