断捨離をめぐって考えていること

片付けを続けている最中、それも家の中に大のゴミ袋4つが並んでいる最中に、ここに暮らしてナンバー1、もしくは2番目に大きな段ボールが家に飛び込んできた。いや飛び込んできたわけではなく届いたんだけど、その時の自分の驚愕を表すと「すごい勢いで飛び込んできた」のである。2月に注文していたスタンドライトだった。心がとても挫けそうになりながら開封。そして勢いよく組み立て。組み立てると、その挫けかけた心が救われた。2月の私、こんなに素敵なものを買っていたのか。でかいけど。願わくはどこへ引っ越しても使い続けたいお気に入りになった。

これだけ捨てているモードの時に新しい(それもやたらでかい)ものが届くと、断捨離って、片付けってなんなのだろうなと思う。4つもゴミを出しても、家はきれいになっている感じがしない。大きなものが増えているから、ものを外に出しているからなのだけど、いまはとにかく内側を整頓して、持ち物を選び直したい気持ちなのだと思う。「選び直し」。生活の中で、選ぶ、を続けることはとても大変なことで、でもそのエネルギーを失うと途端に外側にある消費感覚、売る側の戦略に従ってものを得て使わずに溜め込んでしまう。管理されず、価値観の侵入を許してしまうみいたいな感じ?うまく表現できないけど多分そんな感じ。

それを一度疑って、自分の過去とひとつひとつ決着つけるような(これもおおげさな言葉選びだが)気持ちで、持ち物を確認していく。捨てるたび、まだ捨てられるものはあるなと思う。一月のうちにメルカリで合計23個のものを売り、それでもまだ手放せてしまう自分は、やっぱり溜め込みすぎていて、これじゃ精神的にも風通しが悪いよなあ。

こうして片付けについて書き続けているのは、今後自分がこの溜め込み癖の悪習慣(これを習慣と認識するのにも時間がかかった)を認識して、続けないためだ。持つことは一種の負債でもあるわけで。せっかくお金を出しすならば、資産となるものに変えていくほうがいい。長く使うのはあたりまえで、その後にも捨てずに、譲る相手がいるものを選ぶことが、いまよく叫ばれているサステナブルな生き方の一手段になるのじゃないかなと。とにかく「大切にしすぎて押入れにいれっぱなし」はそんなにたくさんいらないのだよ。せめて両手の指で数えられる程度にしたい。買ったものはちゃんと使いたい。その難しさも知っているから、記録しておく。