読書と整理について

積読だった本をやっと読むことができた。もう少し本に対するフットワークというか、毎日一定の時間をさけるようになりたいと思っていて、でもなかなか今年の1月だけ継続できていた読書習慣(新年だから調子がよかった、新年パワーはすごい)が持続しなかったこともあり習慣化の難しさだなあと思っている。

本には、気合を入れてちゃんと読む本、なんとなく読みだして最後まで行けてしまう本と、とてもスローペースでじわじわ読み進める本、飛ばし飛ばし眺める本、まったく手を出せないまま積読の熟成期間ばかりを伸ばす本があると思う。もちろん一番多いのは熟成あるいは一口食べて熟成する場合が多いのだけど、そういう本を久しぶりに開いてするすると読めてしまう日もあるので不思議だ。

やる気があっても日々の諸々に忙殺されて進まなかったり、作りたいものがあるはずなのに手が動かないとき、それをすでにらくらくとやってのける人をとても羨ましく思う。慣性の法則というか、はじまればはじまるものなのだけど、そのはじまりを作るための力がかからない時。

プールに入るのが怖い子供みたいにプールサイドで水をずっと眺めている、横でどんどん飛び込み遊泳しているひとたちを見てあんな風に泳げたらいいのになんて思ったりする。それは読書にもいえることで、読まなくちゃなと思っていても全然読めない時がある。「あの本はよかったよ」と紹介されることが多くて、その度に強く読みたい気持ちと同時に「まだあれも読んでいないのに」という謎の罪悪感が生まれる。あの罪悪感はとても悪質だ。自分を責めすぎては動けなくなってしまう。そして思い通りにいかなさにぐったりする。でもなんとなく手を伸ばして、いつのまにか泳ぎ始めることができると、あっというまに読めたりする。書けたりする。はじめればはじまる。当たり前のことだけどエネルギーがいる。

動いているものを止めることにもエネルギーがいる。すでにこれをやっているんだからあれはできない。でも、じつはあれ、のほうが人生において重要だったりする。それを置き去りにしていま動いているこれ、をする。楽だからという表現が正しいとは思えないが、でもやっぱり楽だからなんだと思う。放っておくと本当にだめになっていく。

軌道修正には苦労がいるけれど、苦労を減らすためには整理が効果的である。頭の整理。身の回りの整理。関係性の整理。今抱えている仕事の整理。さまざまなことを散らかさないこと。

散らかすことが大事な時もある。拡散的にしている方がいい時がある。散らかっている部屋の方がクリエイティブは生まれやすいという研究もある。それは本当なのだろうかとも思いつつ、とりあえず今はやるべきことをとても減らして、ものを減らして、できるだけ整理する方向性でやってみようとおもう。読む・書く・つくる。まあそれも、一種の慣性の法則で、先月から続いている感覚が続いてるってだけなんだと思うけども。

ブログのタイトルをMe thinksという言葉に変えました。べつになにか特別な理由はないけれど、it seems to meです。とても個人的な記録であるということをただ表すだけでよくて、そして前の「トーダイモトクラシー」も気に入ってはいたが、この駄洒落にもだいぶん飽きてきたので。