舞台がなければ死、なのか

少女歌劇レヴュースタァライトというアニメの映画を見て、作品そのものの演出はとても素敵で驚きで、楽しかったのだが、作中で次の舞台がなければ役者としての自分が「死ぬ」ような描写があった。それは、思春期の女の子たちの情熱のあらわれとして美しく、「舞台少女」を名乗る彼女たちの姿はとてもすてきに見えたのだけど、どうも自分はやっぱり演劇の人間として「少女」を終え、朽ち果て切り歩行する変態として生きているつもりなので、その「次の舞台」に対する焦りとか、スターになるために努力する、ライバルと戦う、という視点が、青春だなと思うと同時にとても辛いなと感じて見ていた。もちろん、これはアニメ作品なので、アニメとして見て、架空のものとして認識したので、アニメ批判ではない。結局、煌めいている女の子を見たいという人間の欲望が見せている幻想なので、まあなにか気にすることではないんだろうけど。

ただ、次の舞台がないと死ぬ、今の自分に満足したら死ぬ、次の舞台は「探せばいい」というメッセージは、すごいハードだなと何度も考えてしまう。私を再生産し、次なる舞台を探せ。何度でも生まれ直せ。もっと感情をこめて。もっと情熱をこめて。そういう俳優がやってきたときに、やっぱりどうしても「おちつけ」と言っちゃうだろうな。若さを失えばチャンスがなくなるというのは事実なのかもしれないが、若いうちに成功してスターにならなければ「死」かというとそうではない。若く美しい俳優があの作品を見ると、どういう反応をするんだろうとも思う。

舞台に立つことは怖いことで、でも舞台にたたないと死んでしまう。苦しくアンバランスな心になるあの世界は、実際はほんのひとにぎりの現場でおこることで、もちろんすでに彼女らはその世界観に「選ばれている」。だからこそその切実さが、つらいなと思ってしまった。すでに彼女たちの足元には無数の屍が転がっていることになる。でも選ばれなかったその人間たちは実際は死んではいない。きらめくための舞台は、派手で大きければいいわけではないし、努力は結果につながらない。でも今日見た彼女たちの輝かしい夢は、みんなトップクラスの、大きな劇場に入ることだった。ちょ、待て待てって言いたくなっちゃうけど、まあいいや。おーい屍たち、一緒に遊ぼうぜ。みたいな気持ち。

次の舞台がなくなっても死にはしない。頼むから、ぜひ、選ばれつづける、あるいは全く選ばれない苦しみの中で、あんまり焦らずに生きて欲しいみたいな、きもち。その先にある無数の挫折は、死ではないよ。あと、舞台を作ることって、競い合いじゃなくて一緒に協力しあうものでしょうよ。とも。