ピザ待ちdiary

好きな人間と飲みに行き、ほどほどに酔っ払いつつ意味不明な言葉を交わしながら歩いた、酒に弱すぎるためすぐに楽しくなれてしまう、ほとんど飲む必要はないと思うけどときどきこういう日があるのは素敵だなと思う。今週が過ぎればまた8月に向けてハードモードになっていくことが見えてるんだけど、がんばろう。ふちのチーズがかりかりのピザがおいしかったです。

ルックバックという作品を読んで、すぐにDon’t Look Back In Angerということばを見つけてああそういうことだよなあと思いつつ、去年書いたけど出せていない自分の戯曲を思いつつ、はやく作品作らないとなと思う。作品にも出てきたし、ちょうど昨日の話にも出てきたから考えているのだけど、好敵手、ライバルとなるひとがいるからもっと先へ行こうと思えるのだろう。だが私の好敵手はだれなのか、と考えても今ほとんどとっさに思いつく顔がない。強いて言えば〜みたいなことばが出てくるけど、強いて出すものでもないし。

でもきっと学生の時は福岡のいろいろな先輩とか、同級生とか、安藤さんとか、もっと有名なひとを、と思っていたな。あの人が観にきてくれた、みたいなことでドキドキしたり、どんな感想を抱かれるのだろうとヒヤヒヤしたりしていたな、確かに、と、思う。はじめのころ。いま、だれかと比較しないいま、心は安定しているが、でもほしいよね。ライバル。

2019年に観たある劇団(大きくて有名でチケット代も高い)の作品が、自分たちの作品ととてもよく似ていて、強いて言えばセットが高級だった、みたいな比較をしてしまいすこし絶望したことも思い出した。それ一本しか見ていないので、だからなんだよとも思いつつ。当たり前だが真似されたとかではなく本当に「どこかとても似ている」という時はあるんだよなあと。人間の頭が作るものだから。なんだかその体験が、一旦自分を比較のステージから下ろしてしまったような感じになり、このまま続けてもあれになってしまうのではという迷いとかが生まれたなと。2年もまえのことなんだからもう変わっているのにね。で、この点に関しては感覚が更新されていないんだなと気づいたりして落ち込む。

そういうことを、今はすっかり想像しなくなっていたけど、あらためてそういうわくわく、作り続けた人ならわかりあえるような気持ちと共存していくことにわたしは憧れているんだろうなと思う。目指したいワクワクをつくっているひとにあまり出会えていないのだとも思う。出会いたいし、食らいたいし、超えたい。ワーなんなんだこれーーって、いいたい。デザインで超えたいなんていうと烏滸がましいが、その憧れのポイントにいる人とは出会えたので、演劇でもほしいなあ。

高畑勲展で、彼が何を考えて生きていたかともかく知ろうというモチベーションで資料を読み込んでいた時、隣に立ったカップルの男の方が「こういう資料の方におれは興味があるんだよね」と言いながら一瞬で立ち去っていくのを見て、興味があるってなんなのだろう、みたいなことを思ったりもした。その後、まだ読解に時間を要していたらどんどんお隣が入れ替わっていき、「この字全然読めないw」とかいう言葉が聞こえてきて、みんなあの展示のなにを見て、何を感じたんだろう。この大衆、を前に、どんどん感覚がずれていき孤独を極める作り手たちは、どんな気持ちで作品を作るんだろうなと思う。同じくらいの孤独と熟考を集めて出会いたいよ。