気をとりなおす、気合を入れる

「気をとりなおす」というのが結構好きだ。めちゃめちゃに追い詰められてしまっても、眠って朝がくれば一旦「気をとりなおせる」。最近は自分の抱えている案件数を数えないようにしていて、なぜならそんなことをしても目が回るだけで、そういう状態で2年が過ぎようとしており慣れてしまった。数えなければ生活が死ぬ、という暮らしではなくなったことも理由の一つになっている。どれもひとしくきちんとやる。損をする仕事も、得をする仕事も。基準はそれぞれだが。

そういう気の取り直しはとてもうまく行っているとおもうけれど、ここぞというところで頑張るぞ!みたいな、覇気がもともと少ないがもっと減っている感じもある。それは単純にきちんとご飯をつくって食べるという生活が安定しているからなのだろう。毎日とても楽しくて、自分の運の良さ、というか本当にほとんどラッキーなだけで生きていることの実感、感じていて。つまりもっと本当はピリつく時間があって然りなはずが、あまりに平和のようにも思う。ぜんぜん悪いことじゃないんだけど。

そう、べつに気がとりなおせれば、生活は十分、それでいい。クリエイティブでないわけではないし、つらさとか根性だけでいいものは絶対につくれない。でも、脳みそはもっと鍛える必要があり、もう一歩、二歩、三歩くらい進みたいときに現状維持だったり過去培った能力を再生するだけの装置と化してしまうのは、あんまりよろしくない。自分の好きな曲調のフレーズばかりを再生産するのは(もちろんそれを強く望む人が大勢いれば話は別だけど)とても楽で、かなりよくない。

もっといろんな曲調を知って、勉強していままでにないものを作りたい。と思い、オンラインミーティングののち、すでに眠くていつもであればそのままお布団なところ、コンビニでレッドブルを買って飲んだ。これを飲んでもべつに成長はしない。でもひとつテキストを書くことができたし、そういうもう一歩の気合いとか、つらいまで行かないレベルの追い込み、理由なんてなくても、そういう筋トレめいたことはつづけたほうがいいんだろうなあと思う。動かさないと錆びてしまうし、筋肉は本当にすぐ落ちるので。