ごはんで不幸になりたくない

メインに何を食べるか次第ではあるが、ご飯を炊いておけば夕食の用意があっという間に、本当にものの10分ほどでできてしまうことがある。基本的に土井善晴先生のおかげであるが、やはり大きいのは冷凍野菜の頼もしさだろう。会社にもお味噌汁製造機関をつくったことだし、食事の用意で不幸にならないことを目指す上でこの冷凍野菜使用スキルは大切なことだと思う。

なぜこんなに「簡単なご飯」というものに固執しているかというと、自分はいままで食事の用意で不幸になる現場を多数目撃してきた。少しでも鬱状態にある人が料理をするとき、段取りでイライラしたり選択で詰まったり何も考えられなくなって疲れ果て、食事どころではなくなるのをみてきた経験が多数あるので、できるだけごはんで不幸になりたくないんだ。

で、少し話は飛ぶのだが、ふと今日小さい頃はトーストなんて食べたくなかったよねと思い、いや、小さい頃っていうか、実家でトーストを食べられるようになったのって本当に最近のことで、それが嫌だったのは自動で出されるものだと思っていたからで、パサパサで味のしない一枚を食べるためにとても大きな苦心があった。いまはカフェオレめいたものがあれば一緒に食べられるし、焼きたてのトーストはおいしいとおもえる。なにより便利。トーストは大人になって価値を感じるようになった「食の自動化」のシステムの一つだと思う。朝ちゃんと起きて食べられるだけでも1日のスタートを愛せるので、そういうのは大切。ヨーグルトもおなじような仕組みで、無糖のヨーグルトにナッツとオールブランを入れればなかなかの完全食として食べられる。これも好き朝ごはんである。もちろんシリアルも。子ども時代、そういうシステマチックな朝食を与えられていた頃はすごく苦痛で、でもそれはそうやることが必要だったのだと思う。

シングルファザーで子どもの朝食を毎朝可愛くおしゃれに作っていた知り合いがいて、パンケーキとかスクランブルエッグとか、わくわくする食事が朝から出てきたらとても嬉しいだろうな私も食べただろうなと思う。だが、それをするための精神的余裕はなかったし、その努力、が裏目に出て辛さになるような姿はとても見ていられないので、やっぱり余裕がないのであれば心から遠慮したい。

毎日今日は泣いているか泣いていないかで緊張している家はとてもつらい。

考えなくていい、繰り返しでいい、簡単でいい、みたいなことを「ちゃんとしてない」と遠ざけていた時期もあるけど、まっとうな「ちゃんとしている」のハードルを上げてしまうから「ちゃんとしていない」が生まれるわけで、それこそ生活という継続を楽しむ上でできるだけ楽な手段を取るということはとても必要なことだと今では思う。昨日と今日は同じでぜんぜんいいし、お風呂に入れない日だってあるし。

ずぼらであることを「許す」みたいなメッセージの商品が逆に人を追い詰めているというツイートをどこかで見て、本当にそうだなと思った。サボることや、あとカロリーが罪のような記述。カロリーは熱量なので罪ではない。太ることに対する罪悪感を煽ったマーケットが今度は手を差し伸べる気持ち悪さだよね。カロリーは槍玉にあがるのに、一番日本人が健康を害している「塩分」のことはだれも言わない。減塩としか言わないことこそが悪だろうなと思う。