乗馬の記憶

レビューではさんざん叩かれているアニメ「スーパーカブ」の7話で、すてきなせりふがあった。

怖がりながらカブに乗ると、カブもこっちを怖がってシートから放り出したりする。乗りたい、走りたいって思わないと、走ってくれないように出来ている

アニメ スーパーカブ 7話

クロスカブに乗ることをさぼりがちだったのだが、これを聞いたその日、メンテナンスに行くことにした。色々とツッコミどころのある作品だったけど行動を起こす影響をもらえたので、ありがたかった。空気がしっかり入ったバイクは軽快で、そろそろと乗ると本当にあぶない。自分が臆病だと知っているからこそ、安全にえいえいと乗っていく、バランス大事。

冒頭で引用したせりふは、10歳の時にはじめて乗馬したときに言われた言葉と同じだった。「馬は乗る人のことが見えている。乗る人が怖がっていると、馬も怖がって落としてしまうよ」と。それと、「首をなでてありがとうと伝えると馬は喜ぶ、コミュニケーションは大事だよ」恐れを知らない子どもだった自分は、馬に乗り走りながら途中両手を離してもまったく落ちることなく、手放しでぐるぐるとコースを周回した。止まるとたくさん首を撫でた。カールという名前の馬だったな。馬のことがと大好きになったし、あのまま怯えずに乗り続けていたらどうなったのだろう。家族は思ったよりも馬を恐れていたこと、終わった後ロビーで流れていたビデオで「歳をとると筋肉痛は数日経ってから来るんですよねえ」と話す乗馬に慣れてきた男女の姿が写っており、そうなのかーと思っていた。熊本の乗馬クラブだったので、その後、馬刺しを食べた。残酷な記憶だ。

バイクも馬もそうだけど、最近、生き方全般がそれなのではと思う。怖がりすぎるとどこかで放り出される。自分がエンジンをかけて、自分で走らないと。責任を持って自分を操縦しないと。そして、いつ人生が終わるかわからないので、できるだけ情熱を捧げられることに時間をつかったほうがよい。もしそれが思い通りにできないものや、どうもなにか行き詰まりが起こってしまう場合は、大事なものだけ残して、手放してしまった方がいい。

では、大事なものは一体何か。自分にとって大事なものをあらためて考える必要がある。今まで作った作品、関わってくれている人たち、優しくしあえる相手。見守ってくれている人。との、関係性。向き合い続けたいと思えるもの。かな。

向き合い、続けられるかどうかは個人の実力や継続できる環境づくりにかかっているのだが、「続ける」をジャッジするのは、いつだって自分でしかない。そして、作ったものを見てもらうことで、その方向性や自分の立ち位置を確認する、それをくりかえしていく。だから、誰かが続けるのをやめろ、とか、やめたらいいのに、というのは「死んだら?」と言うのと、そう変わらないんだよ。だれかの死を願うな。立ち位置を決めるのは自分自身でしかないんだから。

少し落ち着いて、本を読みながら今後のことを考えているのだが、どの本を読んでも、人に言われて大きくなってしまった言葉が頭をよぎる昨日だった。それが辛くて、ハンバーグを作って食べた。ハンバーグはおいしかった。生み出すことで私は自分をなぐさめることができる。優しくしたい相手をやさしくすることができる。書けるようになったら書いていこう。今はそれでいいんじゃないかとも思う。