残すべきものを残さないと

先日のディスカッションで気づいたこととして、戦争や、戦後を生きた人たち、という姿が若い人にとってファンタジーになっているのかもしれないと思う瞬間があって。あまりにもびっくりしてしまい、いやそれはやばくないか…?とショックが続いている。でも確かに、自分のおじいちゃんやおばあちゃんで戦争経験をした、という家庭は減っているし、話せる人も減っているんだろうな。広島や、長崎にゆかりがあれば少しは変わって来るのかもしれないけど、戦後特集をわざわざ観るほど学生は暇ではないし、教科書に載っている、例えば織田信長、ぐらいの感覚なのかもしれない。そうだよなあ、織田信長のことを、別に今関心を持って生きないしなあって。

自分が演劇の中で「戦争」や「戦後」を使おうってことは今まであんまり考えてこなかった(自分が考えなくてもまだ世の中がやっていることだと思っていた)けれど、これを知ってしまって、他人がやってくれるという感覚には戻れないと思ってしまい、今とても井上ひさしを読みたい、あわよくば上演したいという気持ちが盛り上がっている。残すべきものを残さないといけないんじゃないか、っていう感じ。まだこれをする、何がしたい、とか決めたわけではないけど、頭の中で大きく膨らんできている。残すべきものを残さないと、、

井上ひさしが好きだ。もともとあまり観劇をできている方ではないが、井上ひさし、こまつ座だけは、思えば、いつのまにかいろいろ観ていて、もちろん物理的に無理で映像も含むが、組曲虐殺、父と暮らせば、紙木町さくらホテル、きらめく星座、頭痛肩こり樋口一葉、どれも好き。そして宮沢賢治も大好きなので、イーハトーボの劇列車を観る予定がある。ほかにもあるかもしれない。いつかあんな戯曲を書けるようになれたらいいな、と思う劇作家をあげるとしたら、やっぱり一番は井上ひさしで、あんなにうつくしい戯曲をかけるひとはいないと思っている。っていうか、なんであんないいものを、あんなにいっぱい書けるんだ。遅筆って言われてるけど、今ウィキペディアみたら、おそろしい量書いてて…。

今年はもっといろいろ読み込んでみようかな。既存でやるなら、今、欲求が強いのは井上ひさしだ。読みたいなあ。井上ひさしと別役実がスタートでよかったなあ。