あたたかい地獄へようこそ

いつかの稽古終わりにバス停で話していて、山羊王子の座組みの何人かと、そこに現れたケニーさんと話していて「あたたかい地獄」というワードが爆誕した。この世界は、逃れるには勇気と体力と経済的な力と覚悟などなどが必要な、あったかい地獄であふれている。いい言葉だなあといまだに反芻している。

私、ショッピングモールという俗物的で資本主義の手垢にまみれた(ひどい)場所が好きだということにここ1,2年で気がつく。居心地の良さ、守られている感、雨に降られなくていい、全部揃っている、すごい便利。イオンモールや、昔だったらダイエーとかができたおかげで個人商店がどんどん潰れていった過去を知っていて、だからこそ俗物的で資本主義の嫌な部分にまみれて、やり方ももはやレッドオーシャンで、とにかく大きいものが、力の強いものが勝つ世界で、でもそれを否定できない悲しさを感じながら行く。天神のイムズが潰れて、新しい建物に生まれ変わることに強い反発を抱きながら、今日はマークイズ福岡ももちという、同じく三菱地所系の真新しいモールにいる。とにかく経済で回る国に。でも、広くて歩きやすくて、人通りもあって、駐輪しやすくて、よっぽど街に行くより良いとさえ思える。居心地も良いし…。

いくつかの映像作品でスラム化したショッピングモールが出てくるのを見たことがあるけど、もしかしたらこの場所も30年とか40年後スラム化している可能性だってある。永遠なんてない。福岡市はそれをさせないために資本主義的に強くあろうとしているんだけど、つまりそれは他の場所が衰退してスラム化する可能性にも繋がっていて、それは誰かの故郷のはずで、そういうことを考えるだけでもういろいろと辛い。きっとみんな持っているだろう場の記憶がなくなるのが辛いからついついそういうことを考えてしまうんだろうなあ。私、イムズのことが相当好きで、あそこがなくなるだけでめちゃめちゃ辛い。TOKIOや上のsousouで家族とランチした思い出も、エリザベスマフィンをお土産で買ってきてもらったことも、アルティアムで見た素敵な展示も、イムズホールで見た演劇も、好きな友達とうまいお肉とお蕎麦を食べたことも、場がなくなってしまうだけで、忘れてしまうんじゃないかっていう強烈な悲しみがあるよ。それにあれが全部機材で壊されてしまうっていう想像をするだけで、頭がクラクラしちゃうよ。

そういう悲しみがありながらも、力がないから、新しいショッピングモールに行ってしまう。イムズも新しく生まれ変わったら、行ってしまうんだろうなとも思う。かなしいけど、きっとそうだと思う。

 

いみもなくかなしみを書き綴っているけど、今日は仕事をいくつ片付けられるんだろうか。

一体じぶんのショッピングモール好きはどこからきているんだろう、と振り返ってみると、高校生の時、隣駅にイオンモールができて、田舎だったので遊べるところがそこしかなかったから、その記憶が強いんだと思う。行く店は決まっていて、ずっと好きな雑貨屋と楽器店をぐるぐる回っていた。スターバックスにも行った。フラペチーノがはやるちょっと前だから、普通にコーヒーを飲んでいた。今の高校生が、スタバの新作をこぞって買って写真を撮る姿を、あんまり愚かだとも思えない。ほどよい消費ができる場所がそもそもなくて、だから、繰り返しそれを求めてしまうんだよなあって。これもあたたかい地獄だ。

世界はもっと広くて、スターバックス以外にも素敵なものはたくさんあるけど、今も私はスターバックスでコーヒーを飲んでいる。ここのスタバも、天神ほど混んでないし、広い机があって、電源があって、長居しても怒られなさそうだから最高なのだ。ちょうど良すぎる。どこにもユートピアなんてないけど、このスタバ輪廻から抜け出せない自分がいるんだなあ。コーヒーは100円でおかわりできるし…。

 

あ、でも、もちろん、別の視点で考えると「多くの人にとって居心地のいい場所」を作り出している人は本当にすごいと思う。ベビーカーでも車椅子でも行きやすいショッピングモールはきっと多くの人にとって救いになるし、スターバックスの店員さんは困っている人に対するフォローのレベルがとても高いと思うし…。ああこれ、ショッピングモールとスタバだけで意味もなく延々と喋れるな…。