九州のえんげき超先輩シリーズ

去年の末から、よい演劇作品がどんどん福岡にやってきていて、びっくりしながらどんどん観ている。キビるフェスもあるし、きららも非売れもガラパもこふくも飛ぶ劇も観て、九州のえんげき超先輩シリーズ(と勝手にシリーズ化)をいっぱい身体に流し込んだ。

九州のせんぱい、まじですごい。語彙がない。けど、まじですごいしみんなすき、だいすき。笑。特にこふくと飛ぶ劇はテーマ的にも演劇で自分がいつか作りたい時間が詰まっていて、本当に語彙がなくて申し訳ないけど「尊い」っていう言葉がぴったりな時間だった。尊さがまだ心臓に突き刺さっている。演劇すごい。

それで、まだキビるフェスは続いていて、観たいもの(観ておくべきだと思うもの)もいっぱいあるのに、ちょっとまって、みたいな気持ちになってしまった。

自分はひとつの作品を観劇すると、それがいいものであればあるほど自分の中で何回か繰り返していろんなシーンを思い出したり、あそこはここにつながっているとか、こういう作り方はいいかもしれないとか、起きてる時も寝てる時も、知らないうちに分解や分析みたいなことをやっているみたいで、いいものを観た後にすぐまたいいものを観てしまうと、バグがおきちゃうっていうのか、混同や上書きがされてしまう可能性を感じた。インプットのキャパがぜんぜん追いついていない。

こふく劇場で涙をダバダバ流して、すぐに飛ぶ劇場(1週間近くあいてるんだけどね)を観ただけでもうわー!ちょっとまって!!ちょっと待って!と、感覚のゲージが決壊して(観劇後久留米の道端でちょっと狂ってた)しまって…。このままじゃ「めっちゃよかった!ただ、なんだったっけ?」になりそうで、恐ろしくなってしまった。みんなこんなにいいものを立て続けに見て、頭がおかしくならないんだろうか、みたいな、感覚。

すっごくすっごく観たい、気持ち、ありながらも、もらった荷物が大きすぎて大事すぎるせいで、このままじゃ行けない。と思い込んでいる。ごめんなさい。まだまだ観劇したいものが続いているんだけど、ちょっと立ち止まらせてください。本番前で精神的にもおだやかでない部分もあるのかもしれない。色々と穏やかになったら行きたいし、行けなかったものはちゃんと覚えているので、必要と感じたら遠方でも観に行きたいな…。

そう、だから、つまり、演劇だいすきなひとたちはもしかしたらみんなキャパオーバーになっているんじゃないか?と思うのだけど、来週末は灯台とスプーンの本番もやってくるので、もし心が穏やかだったらぜひきてください…。われわれも、われわれが感じる尊い時間をめざして、稽古しているので。