深夜のつぶやき的なもの

下書きにどんどん中途半端な記事が溜まってる。けっきょく公開できてないけど、まあいいかなって感じで日々がすぎていってる。ここ数日は突然仕事がとにかくいそがしくなって、体力もなく、そして素早く全てを処理できる脳もなく、地味に溜め込みながらなんとなくこなしている状況がつづいてる。一応落としてはないし、一日ひとつはなにかしらの結果が出ているので、だめではないと思いたい。デザインも、脚本も、ウェブも、稽古も。ちょっと弱気になってるのは、単純にがんばりを褒められたいのかもしれない。8月からわりとがんばってきた気がするからな。まあ、個人的な気持ちなので、だいじょうぶです。

先週はつきあいの長い友だち何人かとも会えて、ワークショップのこととかふりかえったり、いろいろお話しできてうれしかった。そういうサイクルがときどきあって、大抵だれと会うかも決まってる。一度会うとしばらく会わないけど、また数ヶ月したら約束をする、みたいな感じ。それくらいがちょうどいいだいじな人たち。

あたらしい脚本のこともいろいろ考えてはいるんだけど、まだ概念をあつめてるみたいなところなので、もうちょっと立ち上がってくるといいなと思考してる。短編の方じゃなくて、長編のほう。最近は、架空のお話をつくっているはずなのに現実の方がどんどん追い抜いていく感じがしてて、そんなひどいはなしは物語だけでいいのにねって思うことがしばしばある。そういう感じで、今は身近な生活者たちを描きたいのかな。どうなのかな。

週に一回かおりさんとパンたべたり、コーヒー飲んだりしておしゃべりすることが、創作につながりそうな予感はしてる。あとときどき猫をさわること。そのサイクルがあるおかげであんまりブログ書かなくなっちゃったのはあるけど。笑。

これは自分にしかわからないような記録だけど、このあいだ、ある演劇人がある作家を批判してて、ただその批判が「だいじにしてるところが違う」だけで、演劇そのものへの愛の前提が互いに守られているなと感じた。で、私はどっちの演劇人も好きで、それぞれがだいじにしてるものとか、そっちを選んだ理由とか、かってになんとなくわかっているつもりで見ているので、かってに胸が熱くなったりした。どちらも本当に、演劇好きなんだろうなって思った。「その活動、もはや演劇じゃなくてもよくない?」みたいなとこもある中(どことはいわぬ)で、それぞれのロジックで考えて作品作りをしてて、私はどっちの脳みそも好きだな。そういうことを書いちゃうくらいには、えんげきのことが好きなのか、作品を作るためにたたかってるひとの脳みそがすきなのか。ちょっとわかんないけど、まあブログだから好きに書いてもいいか。あと、「たたかう」と「脳みそ」の組み合わせってなんか変な言葉だな。

だいじだとおもうこと、根幹みたいなものはそんなに変わってない気がするけど、それをもっとしっかり言語化できたらいいなあとか、20年つづけたらどうなるんだろうな、とか、ときどき思ったりする。団体をはじめたときは、40代まではすくなくとも演劇を続けているイメージがあったので、そのままの感じで、すくなくとも。

短編の方は、稽古すすんでる。たぶん。次の稽古でセリフも固まって、なんとか熊本に持っていけるんじゃなかろうか。相変わらずウケを狙いに行かない感じの作品になりそうで、でもはじめての人には団体のこと覚えてもらいやすいんじゃないかななんて。そして、3年前の作品よりは親切。あと、役者二人がとってもかわいいです。