洗脳にご注意な消費生活

きょうは朝から隣駅のお店に用があって行ってきた。朝から何だか調子がよくなかったけど、お昼から打ち合わせがあったので夕方まで話しながら作業して、お腹が空いたので家に帰ってすぐ夕食を食べた。猛烈に眠くなって、そのまま起きずに1時にめざめる。そしていま、まよなかの3時である。ゆめのなかでは、某ダンサーにダンスをおそわっていた。人がいっぱいいて、ワークショップのようでいて、運動会のようでいて、ライブのようで、変なニットのうわぎをきたミスタ(ジョジョの奇妙な冒険の5部に出てくるキャラクター)がいたな。

で、起きたら、Twitterでちがうフォロワーのひとがたてつづけに「贅沢」に関するツイートをしていて、自己肯定のための贅沢とか、おいしいものを食べることが必要だ、みたいなものが書かれていて、たしかにそうだなあとおもった。

自分にお金をつかっている自覚がめざめてから精神がすごく安定した。それも中途半端な使い方じゃなくて、ちゃんと欲しいものをさがす、好きなものがなんなのか知っておく、みたいなことで、自分を知る必要があるのでけっこうむずかしい。すっごいおおげさにいうと本当の幸いをさがさなきゃって感じだし、こんまり的にいうとスパークジョイっていう感じ。自分の中で答えがはっきりしてくると、妙な消費でよろこんだりしなくていいし、半額シールを貼られたシュークリームなどをわざわざ買わなくてよくなるのだ。でも、そこんところの生活はいまだにむずかしい。

東京事変「キラーチューン」の歌詞で、

贅沢するにはきっと財布だけじゃ足りないね
だって 麗しいのはザラにないの 洗脳(わな)にご注意

というフレーズがある。短い歌詞にいろんなことが詰まってるなあ。

「乗り気」や「静かなる逆襲」も、都市の消費生活からジャンプする、みたいな歌詞なのだけど、椎名林檎はほんとそういうのがうまいなと思う。ショッピング。それが欲しいのかもよくわからないっつー欲望にのまれがちな人生を描くのがうまい。

資本主義社会、自動的に売り手か買い手に振り分けられがちで、私はべつに私なのに対称的に「今は買い手」「売り手」って、そういう謎の嘘の立場のほうが勝手に現実になっちゃうんだから面倒臭いよね。世界。そんななかで「本当の私を見て」っつー言葉も薄っぺらい。っつー。ああまた変な脱線をしてしまった。

話は変わり、しごと、これから環境が少しだけ変わる予感、というか、忙しくなるというか、いろいろやっていたものをシンプルにするかもしれない可能性が出てきて、うれしいけど不安。いままでのやり方で2年ほど安定、してるわけではないがなんとかこなせていたので、また新しくなるのか、ならないのか。損をする可能性だってあるけど、一緒にやっている人のことを信用しているので、よくなっていくと信じてがんばる。だめだったらまたやりなおせばいいわけだし、と思えるようになってきて、心はかなり健康になっている気がする。お金を貯めておかないとな。生活が穏やかでわりと元気なうちに。